2010年10月 5日 (火)

<住むこと>とは?⑤

   「コミュニティ(地域社会)」
             
   「住む」といえば、〈家に住むこと〉を指すのが一般的ですが、一日二四時間の内訳をみると、家に居る時間をのぞくとその場所は主に勤務先であり、また通勤途中や休日に利用する店舗などの商業施設や公共施設などであり、さらに人が利用できる自然環境の中ということになり、〈住むこと〉を家に居る時間と家という空間で区切るより、家の内と外のつながりの間係のなかで考えることのほうが日常生活に近いことに気づかされるのではないでしょうか。
   言い換えると、私たちは個人で過ごす時間、家族で過ごす時間、家族以外の人たちと過ごす時間の中で「住む」時間を過ごしていることになり、いわば、「私」・「共」・「公」の三つの入れ子の容器を使い分けながら暮らしているのが、〈住むこと〉といえるのではないでしょうか。
   と同時に、「コミュニティ」とよばれる地域社会には家族を含めた「私」以外の「共・公」の場所として、家とのつながりを持ちながらも質を異にする空間と時間が備わっていることを想像できるとおもいます。
   さて、ここに紹介する「コミュニティを問い直す」の著者、広井良典さんは、「コミュニティ」を「内と外」という視点からその歴史と社会構造の変遷を日本と諸外国を比較しながら解き明かし、日本の近未来に求められるコミュニティ像の仮説を提示しています。以下、広井さんの着眼点と着想を本書の図版のいくつかからご紹介します。
   

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   ◆日本社会の現況
   

―「農村から都市への人口大移動」のなかでうまれた〈「都市の中のムラ社会」ともいうべきカイシャ(会社)と(核)家族という閉鎖性の強いコミュニティ〉―
   

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◆社会的孤立度の高い日本

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◆地域への土着性が求められる
      これからの日本の人口構造

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◆定常化社会の到来

・ 社会資本の変遷

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・ 日本社会の現状
   

―「市場原理」に席巻されている居住環境と立ち遅れた社会政策が窺える(注)宮坂)―

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・人類史に見る定常化

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◆これからの社会像
   

―従来の「市場」に代って、個人のつながりが「通路」のように整った地域社会に変われば、個人が負担する社会福祉費用の費用対効果が高まる社会が生まれる可能性がある。(宮坂の読後感)―
   


       *  *  *  *  *  * 
   


   ところで、このブログを書きかけた七月の下旬に百歳を越える高齢者の所在が分からなくなるという事件が起きました。まさに地域社会構造の劣化をおもわせる事件で、その推移を追っていくうちに、今年の夏の暑さも手伝ってブログを書く手がとまりました。NHKTVには、「無縁社会」をテーマにした番組も現われるようになり、現代の日本社会の病巣の深さを考えざるを得ません。

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2010年7月27日 (火)

朝顔の双葉

・・・朝顔も
              双葉重ねて
                          日傘かな・・・

   

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                   二〇一〇・七・二三 撮影

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                   二〇一〇・七・二三 撮影

ことしの暑さは格別。新聞報道によれば、原因は地球各地の海水の温度上昇によって地球上空を流れる偏西風が蛇行したため地域によっては例年より北側に寄り、南側の暑い気候が侵入した結果とか。
   

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                   二〇一〇・七・二二 
                        日本経済新聞朝刊より

このような気候変動を感知しているのでしょうか、五月に種をまいた朝顔は双葉の状態でも互いに葉を重ね合い土が乾かないように日影をつくっているように見えます。
 ところで、「朝顔」は秋の季語。「朝顔の苗」または「朝顔の双葉」で夏の季語になるそうです。立秋(八月七日)過ぎると花が咲きそろうからではないでしょうか。そこで、さっそく俳句に使ってみたわけです。それにつけても朝晩水をやるたびに植物の生命力の強さを学ぶこと大な、ことしの夏です。

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2010年6月28日 (月)

杜若(かきつばた)

・・・雨煙る
              遠目にそよぐ
                             杜若・・・

   

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          いずれも二〇一〇・六・一八 撮影

六月半ばといえば、神宮の森からさほど遠くない中野に住んでいる者にとっては明治神宮の菖蒲園が目に浮かびます。梅雨どきの紫陽花や花菖蒲は、見た目も涼しいので桜の花見とおなじように出かけることになります。

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女性の美しさの優劣つけがたい時に、「いずれ菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)」という言い方がありますが、「菖蒲」を「しょうぶ」と読んだり「あやめ」と読むこともさることながら、実際に見分けがつきにくいのは花菖蒲と杜若(かきつばた)のようです。

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菖蒲園のあずまやに備えてある説明によれば、菖蒲(あやめ)は乾いた土地に咲くとのことなので、水田のこの明治神宮の菖蒲園にはないことになり、前々回紹介した菖蒲田(正確には「あやめ田」?)に咲く花が菖蒲(あやめ)ということになります。

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そこで「いずれが花菖蒲か杜若・・」と目を懲らすことになります。
   

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花の色が多様な花菖蒲に目をとられるせいか、説明書きにある〈弁元に細長く白い筋〉の杜若はなかなか見つからず、冒頭のような句をつくって帰って来た次第。

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2010年6月17日 (木)

朝顔の芽

・・・朝顔の
              芽と眼を合わせ
                          きょうの雨・・・

   

昨年咲いた朝顔から採った種を五月半ばに撒いたところ、五月末には左の写真のようになり、一週間後にはさらに大きくなりました。

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              二〇一〇・五・二八 撮影

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              二〇一〇・六・〇五 撮影

正直なところ半信半疑でした。昨年枯れた朝顔の茎に残った蕾の殻から種をとりだし、フィルムケースの蓋に空気抜きの穴をあけ数十粒収めたものの、ケースに半年入れておいた種から芽が出てくるとは。
   

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              二〇一〇・五・二八 撮影

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             二〇一〇・六・〇五 撮影

ネットで調べたところ〈種を撒く前に一晩水につけ、一つの植木鉢に五つぐらい撒く〉というので、その通りにやってはみたものの、植物の生命力の強さにおどろきました。 撒いた種が全部発芽するとおもっていなかったので、一つの鉢に種を多く撒きすぎたようなので、六月五日撮影から一週間ぐらい経ったところで根を痛めないように鉢から芽を取り出し、大きめの鉢に分けたところ、いったん土から離された芽はたよりない感じでしたが、その後も順調に育ち続けています。これから暑くなりますが、朝は人の眼を楽しませ、昼は緑のカーテンの役目を果たしてくれるとおもいます。

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              二〇一〇・五・二八 撮影

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              二〇一〇・六・〇五 撮影

いやはや、植物の力には眼をみはるばかり!
   と、いうことで「きょうの雨」を期待することになり、五月雨、梅雨ともに、またよし、というとこでしょうか。

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2010年6月 9日 (水)

菖蒲田

・・・山里の
              鎮まる墓や
                          菖蒲田・・・

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今年の四月は日照不足のせいか、桜が三週間以上も咲き続け、例年その勢いに圧倒されるツツジの咲く五月は低温続き。梅雨の気配も近づいてきたので春に行きそこねた墓参りをとりもどそうと五月末に出かけ、出会ったのがこの風景です。
   

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墓参りとはいえ、一日がかりで出かけるのは、標高千メートル近い山里の風景のなかをドライブすることと温泉が目当てですが、桜やツツジでは味わえない菖蒲の花の静けさを知りました。
   墓参りの時期をずらすのも一興のようです。
   

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2010年5月27日 (木)

<住むこと>とは?④

   「人間圏」
             
   前回ご紹介した石毛直道さんの仮説が、現存する未開社会と現代社会の日本の「すまい」を比較し、「人のすまい」の過去二~三千年の変遷と普遍的な空間構成を描いた内容とすれば、今回ご紹介するのは「人のすまい」が集まり、さらに広がることによってできる「人間圏」を宇宙から地球を見た視点で描いた松井孝典さん(まつい・たかふみ―地球物理学と惑星生物学が専門―)の仮説です。
   その時間スケールはビッグバンによって地球が生まれた百五十億年前にさかのぼり、空間スケールは、太陽系をその一部とする直径が十万光年の銀河系の、さらに外側までふくめた百五十億光年といいますから、気が遠くなるような話ですが、傾聴すべきは、そのような視点から見ると、とくに二十世紀に入ってから拡大し続けてきた「人間圏」は、その大きさ故に巨大地震などによる自然災害の影響も大きく、このままでいけば、あと百年ぐらいで破綻するだろうというのが松井さんの見解です。
   

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   松井さんの考えを表わした右の図(「NHK人間講座 宇宙からみる生命と文明 二〇〇二年十二月発行」から転載)によれば、本来、地球本体の「地球圏」と生物による「生物圏」から成立っていた地球上の人間は食料を狩猟と採取に依存しているまでは「生物圏」に属していたのが、農耕と牧畜という「(食料生産の)駆動力」を身に付け、さらに産業革命以降の機械や化石燃料によって「(商品やエネルギー消費の)駆動力」(( )内は宮坂注)によって物質循環の速度を速め、肥大化していくうちに、現代の「人間圏」をつくりあげたというものです。また、このような視点からみると現代は、過去の「生物圏」から「人間圏」に分岐した時代に匹敵する岐路の選択を迫れているそうです。
   松井さんは、このような人が文明の発達を遂げて初めて自らの存在の矛盾に気付くことを「文明のパラドックス」とよび、現代社会が抱えている「人間圏」の問題を解決するためには、二十世紀までの人間の思考体系そのものを改革しなければならず、短期間で改善できるような内容ではないとする一方、社会構成の単位を国や県などの自治体から江戸時代の藩ぐらいの大きさに変え、社会の価値観を〈所有〉から〈利用〉へ変えることができれば、改善の糸口が見えてくる可能性があるとしています。
   また、左のような写真(前掲と同じより転載)を人類が手にいれるようになったことは、観測されるべき対象に人類がいることにほかならず、人間と自然を分けて考える二十世紀後半までの思考方法では二十一世紀は太刀打ち行かなくなるだろう、としています。
   

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   さらに松井さんは、「人間圏」にとって、いちばん避けなければならないのは、インターネットなどの手段によって個人の考え方が均一化して、社会環境の均質化が進み、〈人間圏の駆動力である食料や商品やエネルギー消費〉に社会の歯止めがかからなくなるような状態だとしています。
   松井さんが投げかけている課題は、〈 人間にとって都合のよい環境 〉 ではなく、「地球圏」と「生物圏」に隣接する〈 生物としての人間とその社会の姿 〉を、いま「人間圏」に問わなければならない、と言っているようにおもえます。この点においては、前回の「人のすまい」の〈私―共―公のつながりと空間構成の関係〉を辿っていけば、最近、居住環境やビルト・エンバライメント(Built Environment)と呼んでいる「人間圏」の改善の道を見つけだすことができるかもしれません。
                                               (参考文献―①(日本建築学会機関誌「建築雑誌二〇一〇・五月号」) ②「NHK人間講座 宇宙からみる生命と文明 二〇〇二年十二月発行」

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2010年5月12日 (水)

<住むこと>とは?③

   「人のすまい」
             
   「家」のことを指して「食う、寝る所、住む所」という言い方があります。これは〈寝食〉が出来たうえで〈住む〉場所ということになりますが、家の中の空間は家の中だけにとどまらず「まち」にまで広がっていることを示すのが左の図です。

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    この図は約四十年前に発刊された石毛直道著「住居空間の人類学(鹿島出版会一九七二年初版)」から引用したものですが、内容はいまだに鮮度を失っていないとおもいます。
   まず、左側の表をみると、家の中で行なわれる「寝」と「食」にくわえて未開社会の家にも四十年前の日本の家にも共通していることは、「育児・教育」、「炊事」、「家財管理」、「接客」、「隔離」ですが、現代の日本の家では「育児・教育」と「接客」が極度に薄らいできていることに気づきます。
   次に右側に目を移すと、家の中で行なわれることは「公的施設」とのつながりを持っていることと、家の中で行なわれることが家の外へ移ってきたのが人の生活の変遷であり、歴史であったことが分かり、改めて、〈住む〉こととは〈まちと家に住むこと〉であることを想い起させられるのではないでしょうか。
   さらに、石毛直道は、家の中の空間は、
   ・開かれた空間である「共有空間
    (たとえば居間や客間)」と、
   ・閉ざされた「隔離空間(たとえば
    寝室)」と、
   ・一定の作業や行動を目的にした
    「機能空間(たとえば台所やトイ
   レ・浴室)」が互いに重なり合い、
その重なり合っている部分が空間として未分化な状態を保ちながら家の使い方に応じて「共有」、「隔離」、「機能」の三種類の空間とともに変化し続けてきたのではないか、という仮説を述べています。
   このような「人のすまい」の成り立ちや変化をみると、隔離された「私」の空間が機能空間を介して「共」の空間がうまれ、さらに時間が経つにつれて家の中の出来事や社会の変化に応じて、「私―共―公」へと空間がつながっていった姿が浮かび上がってきます。「住む」という人の行動が「家」と「まち」をとおして一体になる状態が「人のすまい」といえるかもしれません。
   「家」のストックが「まち」にあふれながら、それぞれの「人のすまい」が決して〈住みやすい〉状態になっていない現代の課題を解決するには、もういちど「私―共―公」の空間構成を見直し、とくに「共―公」を再構成することがたいせつなポイントのようです。

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2010年4月16日 (金)

<住むこと>とは?②

   「言葉の成立ち」
             
   「住むこと」の意味をあらためて国語辞典(岩波第六版)で確かめてみると、口語の「すまい」、文語では「すまひ」という言葉が「住むこと」や「住んでいる場所」を意味し、「住居」は当て字、とあります。口語の「すまい」は〈現代かなづかい〉として一九四六年内閣告示に始まり、一九八六年内閣告示〈現代仮名遣い〉として現代に至っているとのこと(山西雅子著「俳句で楽しく文語文法」)なので、あらためて歴史的仮名遣いの「すまひ」と言っていた時代の長さに想いは馳せられます。
   さらに、「すまい(すまひ)」は、「住む」の未然形に継続を表わす接尾語「ふ」が付いてできた文語動詞「すまふ」、の連用形から出た語とありますので(前掲、国語辞典より)、本来は連用形の活用がしめすように用言(動詞・形容詞・形容動詞の類)に連なる(前掲、山西雅子著より)「すまいやすい」とか「すまい続ける」、「すまい終える」というような言葉の使い方が、「住むこと」や「住む場所」という言葉の意味の底に流れていたようにおもえます。
   どうやら、「すまい」は「住まい」や「住居」という名詞ではなく、国文法の連用形が示すように動詞や形容詞や形容動詞と組み合わせて、使うと言葉本来の働きを活かすことになりそうです。
   このようにみてみると、「すまい」が名詞として使われるようになったいつの頃から、「持ち家」が〈住まいの代名詞〉になったようにもおもえてきます。「すまい」は本来の言葉どおり動詞や形容詞などとつなげてつかうと「利用して変化し続けながら住む家」のイメージがふくらんくるのではないでしょうか。
             
   ◇「すまい」の言葉の成立ち
             
      「住ま(未然形)」
         ↓
      「すまふ」 
         ↓
      連用形→「すまひ(すまい)」
                       ↓
                   すまいやすい
                   すまい続ける
                   すまい終える

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2010年3月19日 (金)

<住むこと>とは?①

   「劇場とステージ」
             
   「スケルトン・インフィル」という言葉は、最近、マンションの販売広告でもよく見かける言葉です。建物の骨格部分(スケルトン)と室内の内装・設備部分(インフィル)が、従来の建物の場合、両者一体に施工されるところを、インフィルがスケルトンから分離しやすいように施工されている場合に限って、この用語が使われます。なぜそうするか?ここに〈住むこと〉の特長が現われているとおもいます。
    つまり、〈住むこと〉は、人の成長や勤務先の都合なので絶えず変化していくのが普通です。家のなかの模様替えや引越しを想像すると分かりやすいとおもいますが、「スケルトン・インフィル」に代って、「劇場とステージ」と読み換えたのが、すでにご紹介したTedd Bensonです。
   Bensonは、私が作成した左の「サポート(スケルトン)とインフィル別の木造住宅工事費試算表(英訳 宮坂公啓)」をみて、ブログに「劇場とステージ」を書いたと2月半ば頃知らせてきました。

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   私が「サポート」と呼ぶのは、発案したオランダのHabrakenさんの言葉を尊重したことと、屋根や外壁や窓・出入口と構造体を一緒にして「スケルトン(建物の骨格部分)」と呼ぶことに言葉としての不自然さを感じたからです。Bensonが私の試算表を評価したのは、次の点からです。
   《サポート(構造体と屋根・外壁・窓・出入口)の設計仕様と工事費用を変更せずに、インフィル(内装・設備)の数量と仕様を調整することで(試算では約十四%)建築主の予算に応じた木造住宅を建てることができる。》
   このようなところから考えると、住宅を「劇場とステージ」と言い表したBensonの見識は、〈住むこと〉の特長をふまえていて優れているとおもいます。Bensonは、この考え方を昨年十一月に開かれた環境問題の解決をテーマにしたGreen Buildで発表し、インターネットのワシントン・ポストにも掲載されたそうです。
   ここのところブログの更新がニ、三回分遅れてしまいましたが、じつをいうと、Bensonから彼のブログへ投稿してみないかと誘われ、電子辞書と首っ引きでたどたどしい英語で投稿したところ、ブログの一読者からコメントをいただき、また、そのコメントに回答といいうことを繰り返している内に、またたくの間にニ、三週間が過ぎてしまったという次第。うれしい<春の嵐>というところでしょうか?また、「二十四時間民主主義」というアメリカ発のブログやインターネットのおかげで地球はじつにせまくなったもんだと実感する、きょうこのごろです。

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2010年2月21日 (日)

三寒四温

・・花に雪
           三寒四温も
                     土の中・・・
梅が咲き始めたというのに寒い日が続きます。と、おもっている内に雪。まるで三寒四温が逆転したようで、おもいついたのは「土の中」。
   

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じつを言うと、今回は句が先にできて、句に合う写真が撮れる日を待っている内にブログの更新が遅れてしまいました。
    P1070044
    P1070045_2

最近は、「写真俳句」という言葉も聞き、TV番組では「PHOTO五七五」などという番組もありますが、俳句の内容と写真を合わせようとすると、一苦労。でも、そこがまた楽しめるところではないでしょうか。
   P1070046

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2010年2月 7日 (日)

春の息

・・葉を透す
              朝日に滲む
                           春の息・・・
立春を迎えると、ベッド脇においた観葉植物は光を増した陽射しを受けて、葉が透きとおって見える時があります。太陽の位置が低い時が具合が良く、ほんの二、三分しか続きませんが、この場面にすこし見とれてからベッドから起き上がれば朝のめざめはさわやかになります。
     Photo_4

まだ冬の寒さが残る立春ですが、弱い朝の陽射しがすこしづつ強くなる様子は、まるで生き物が息をしているようにも感じられます。
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2010年1月29日 (金)

寒椿

・・裏庭の
           陽当らずとも
                              寒椿・・・
節分が間近なこの季節、北側のわずかな土の上にでも花は咲き、なかでも力強い緑の葉の茂みに開く寒椿は出色。
    

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左の写真は、街中のバス停前の店主がガードレールに自作の俳句を貼りつけ、バケツに寒椿の枝を生けたところを通りかかった時に撮ったもので(二〇〇七年三月)、俳句の作者の心意気におもわず気持ちがすこし熱くなったのをおもいだします。
   
・・春は来ぬ
                尚寒椿
                         意気高し・・・

            ―中野区鍋屋横丁の某店主―


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2010年1月19日 (火)

冬ぼたん

・・傾く陽
           白さ深める
                         冬ぼたん・・・
梅はこれからというこの季節に大きな花を咲かせるのが冬ぼたん。「寒牡丹」とも呼ばれ、寒の入り(一月六日ごろ)から節分明け(二月上旬)が見ごろです。この数年毎年訪ねるのは上野東照宮牡丹園P10609191 P10609221
   
   
大柄な花は見飽きてしまうような気がしていましたが、寒さの厳しい季節に咲く冬ぼたんの華やかさは格別で、見れば見るほどその大輪の色の微妙な違いに惹かれるようになりました。
   P10609321
    P10609451
   とくに、白い牡丹が午後三時ごろから傾き始める太陽の光を受けて、白さを増していく姿は圧巻です。白い色に光が当たると白の明るさが増す道理で、桃色や黄色の牡丹もおなじように白さを深めていきます。たぶん、このような風景を詠んだのでしょう、次のような俳句が木札に書かれ添えられていました。
・・朱に染まぬ
           もの世にありて
                         冬牡丹・・・

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2010年1月13日 (水)

冬の空

・・冬の空
           梢のびたる
                         欅かな・・・
私が住んでいる中野区の上高田地域は宅地の細分化が進んだとはいえ、所々に昔の屋敷森を想像させる大きな欅(けやき)がランドマークとして残っています。1 3
   
   
正月を過ぎ、大寒をむかえるこの季節は気分がすこし内向きになりがちですが、天気の良い日に道を歩くと太い幹から枝を空いっぱいに広げた欅が眼に入り、梢を見あげれば、丸めていた背中も自然にのびて冷たい空気も快く感じるようになります。欅は武蔵野の代表的な樹木。冬もまた、よし、というところでしょうか。
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2010年1月 6日 (水)

建物のメンテナンス(維持保全)⑥

   「建物の一生」で考える⑤
                  
   「予防医学」、「早期発見早期治療」は健康を維持する方法として現代では常識になっていますが、Stewart Brandは、「第八章 メンテナンスのロマン(The Romance of Maintenance)」で左のような図を描いて、建物のメンテナンスの重要さを説明しています。

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『予防的なメンテナンス(右図最下段の太線)の費用の合計は、建物の傷みを修繕する費用をかなり節約するだけでなく、建物に住んでいる人の精神的な消耗を減らせます。前にもふれたように、常にバラバラになろうとしている、あるいはバラバラになる恐れのある建物の仕組みは、入居者にとってストレスになり、結果として修繕費とは別の損害賠償などの出費を招くことになります。この図は、「予防的な建物のメンテナンス(New York: Van Nostrand Reinhold出版 1991)3ページを基にしている。―右図下の説明―
   以下、第8章から抜粋―『傷み始めた建物の劣化するスパイラルの速度はたいへん速いので、メンテナンスのコツは、このスパイラルに陥らないようにすることです。
   これには基本的に二つの方法を想定することができますが、どちらかというと実践されることは、稀だとおもいます。
   ひとつは〈予防的なメンテナンス〉―建物が傷み始める前に定期的に建材や設備機器などの手入れを行なうことで、かなりの修繕費は節約でき、建物の生命を飛躍的にのばすことができます。もうひとつは、メンテナンスを少なくするような設計と工事施工の方法ですが、両方とも嫌われるのがふつうです。「頑丈な建物となれば高くつくに決まっている!」、「予防的なメンテナンスなんて、うんざりだよ!」という具合に。』
   さて、どうやら、答はこの二つの間、つまり、早めのメンテナンスは建物が長く使われることで語りつがれる物語とロマンを生み、メンテナンスを怠れば悲劇を生む、というところでしょうか。
                              (この項は終わり)

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2009年12月29日 (火)

建物のメンテナンス(維持保全)⑤

   「建物の一生」で考える④
   
   「How Buildings Learn(建物はどのように学ぶか)」というおもしろい題名の本があります。

Howbuildingslearn3
   
   
   著者Stewart Brandは、一九七〇年代に出版された地球環境に向けた視点から書かれたいくつかの本のなかの一冊「Whole Earth Catalog(全地球カタログ)」を編集・製作したことで名を知られていますが、この本(右写真はペーパーバック版(一九九五))が出版されたのは一九九四年。また、一九九六年には「長期的視点に立った未来への責任」を提唱するThe Long Now Foundationを設立し、多彩な活動をつづけています。このHow Buildings Learn はイギリスのBBCが映像化しているので、You Tubeで見ることが出来ます(四部構成―約三十分)。
   さて、建物を時間軸で考える場合、私たちの多くは「着工から竣工まで」、あるいは「新築と建替え」で考えるのが一般的だとおもいますが、「建物竣工後どう使われているか」についてはいわば盲点、死角にある事象。言われてみれば、ナルホド!と私がおもった、この本のさわりをご紹介させていただきます。
   
   
   ○「建物の一生」に使われるお金

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   『五十年以上経過した建物の中で起きる変化には新築時の三倍の費用がかかる。Frank Duffy (王立英国建築家協会会長(一九九三―一九九五)は、右の図を次のように説明している―【建物にかかった費用を竣工後五十年以上で合計してみると、建物をつかう人が変わったことで三回更新した設備工事費用と十回更新した内装工事費用の累計は、当初建物の構造工事費用をはるかに越えている。これは建物の一生に必要な費用マップといえる。建築は実際にはほとんど重要でないことを証明している。―《無価値》ともいえる。】(私は(著者Stewart Brand)Duffyの言葉を私の言葉に直してみた。)』(右図左の説明内容)
   
   
  ○経年変化によって分断される
     建物構成要素の階層

1100108maintenance_cost_2
   
   
   『建物は建物の構成要素が(敷地(site)・躯体(structure)・外装(skin)・間取り(space plan)・内装(stuff)・設備(services)の6つのS)それぞれ経年変化の度合いによって異なるので、建物自体が常にバラバラになろうとしている。』(右図下の説明内容)
   どうやら、「建物の一生」については、すでにご紹介した中村琢巳さんの研究といい、このStewart Brandの本といい、古今東西おなじようなことが言えるようです。
                          (この項次回につづく)

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2009年12月21日 (月)

建物のメンテナンス(維持保全)④

   「建物の一生」で考える③
                  
   「建物の一生」の姿を垣間見ることのできる本があります。村松友視著「俵屋の不思議」。本の帯につかわれている建築主の言葉、『職人がいなくなったら、俵屋はなくなります』のとおり、この本には「俵屋」という京都の老舗木造旅館の機能と空間、というより、まさに〈建物の質〉が、出入りする建築職人をはじめ旅館に関わる様々な人によって支えられている様子が描かれています。

Photo_2
                                                建物のメンテナンスに限れば、
   数奇屋建築が専門の工務店と職
   方(大工、左官など)に加え、
ふだんから旅館に出入りする、
   「洗い屋」とよばれる木の浴槽(樹
   種は高野槙
(こうやまき))の清掃職ほか、
   植木、
   造園、
   畳、
   襖紙(唐紙)、
   障子の和紙、
   すだれ、
などに関わる人々が、まるでオーケストラの楽器演奏者のようにそれぞれの仕事をしています。
   このような建物と人の関係は、旅館だから出来るともいえますが、〈建物は使われ続けられることが最良のメンテナンス〉であることを改めて考えさせられます。

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2009年12月14日 (月)

建物のメンテナンス(維持保全)③

   「建物の一生」で考える②
                  
   前回ご紹介した中村琢巳さんの「木造住宅のライフサイクルに関する歴史的研究」のなかでひときわ目を引くのが、「冨塚家(旧所在地―東京都多摩市連光寺、現在は多摩中央公園に移築)」という延床面積約八七坪(二八八㎡)の名主の家の日記に記録された幕末から明治の五十年間にわたる(一八五九~一九〇八)建築職人の出入りの人数(数値は人日数―半日分まで記録)です。

200731
最も多いのが
(半日分は切捨て)
   大工の二七四八人、つづいて
   植木屋一五九九人、
   屋根職六七五人、
   木挽
こびき五七六人、
   建具屋三三一人、
   左官二九一人、
   黒鋤
(くろすき=造園職人)二八三人、
   桶屋
(おけや)一八三人、
   畳屋一五二人、
   表具屋九七人、
   瓦屋九二人、
以下、
   石屋、
   書画屋、
   鋳物師、
   龍吐水、
   塗師、
   銅屋
などの職種がならび、当時の建物のメンテナンス(維持保全)に携わっていた建築職人の姿が浮かび上がってきます。
   大工職人に限っていえば、新築時に九〇〇~一〇〇〇人(坪当たり約一〇~一二人)程度かかったとすれば、築後五十年間で三倍ぐらいの大工職人が出入りして増改築をふくめた建物のメンテナンス(維持保全)に携わったことになります。
   「手をかけ、使われ続けられることで建物は長持ちする」という事実を物語る記録です。

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2009年12月 7日 (月)

建物のメンテナンス(維持保全)②

   「建物の一生」で考える①
                  
   住宅のリフォーム工事をめぐる詐欺事件が横行して以来、「リフォーム」については警戒する風潮が広がりましたが、より大切なのはリフォームの内容に対して工事金額が妥当かどうかもさることながら、リフォームの内容が「建物の一生」からみて適時適切かどうか?という大局観だとおもいます。
   どうやら最近のリフォーム工事では、《新築ソックリ》という広告のキャッチコピーが功を奏したのか、建築主側もそれを求め、定期的に(適時に)手を入れることや、「建物の一生」を視野にいれた適切な建材・設備機器の選択、建築職人の選定を忘れているようです。
   このように〈建物に命があること〉を忘れている現代人の盲点にあらためて気付かされたのが、中村琢巳さんの「木造住宅のライフサイクルに関する歴史的研究―近世史料にみる資源保全型の建築活動―(二〇〇七年三月学位論文)」(左写真)です。

2007
                
残念ながら、まだ本として刊行されていないので一般の人が読めるようになっていませんが、一九世紀後半の日本では、居住環境を構成する住宅群が互いに古材や転用材を巧みに取り入れながら家を建て、生活していた様子が歴史的資料をもとに描かれています。その特長は、建築行為を表す語彙が豊富であったことにあります。
   例えば、修繕を表す言葉は、「取繕(とりつくろい)」、「繕」、「修覆」、「造作」、「取替」、「張替」、「屋根葺替」。
   増改築を表す言葉は、「仕添」、「継添」、「継足」、「造添」、「建添」、「仕出」、「仕足」、「切縮メ」、「伐狭め」、「取払」、「継上ケ」、「柱切下け」、「仕立替」、「仕立」、「仕替」、「振替」、「庇建替」、「南側建替」、「居間建替」など。まるで衣服のように家を自由自在に扱っているようにみえます。
   このような時代では、建物解体工事のなかで「生毀(いけこぼち)」という言葉もあったそうです。この言葉は、現代のコンピューターやクラシックカーなどの機械マニアの間では「部品取り」という知恵として残っているようですが、「住宅マニア」の間でも生かされるようになると、適時適切にメンテナンスされた家々が群として居住環境を形づくるようになるのではないでしょうか。
   《新築ソックリ》ばかりの家が建ち並んで、居住環境とよべる風景になるかどうか?おおいに疑問です。(この項は次回へ続く)

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2009年11月30日 (月)

落陽

・・落ち行く陽
             水辺に燃えて
                         もみじかな ・・・
紅葉が盛りの今は午後二時過ぎると陽は傾き始め、黄色味を増し、とくに、もみじは赤い色を増します。
   水に映る富士山を「鏡富士」と呼ぶのは、大地にそびえる正像と水面の鏡像の両方がそろったところで、さらにその美しさを確かめるということだとおもいますが、この季節のもみじにも同じようなことが言えそうです。木の実が熟すように、風景も熟していくようです。Photo

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2009年11月22日 (日)

小春

・・樹々あまく
             匂い立つ道
                         小春かな ・・・
木枯らしが吹き始めるすこし前の晴れた日に樹の茂る道を歩いていると、かすかに甘い匂いがすることがあります。冷たい空気に漂うその香りは柿の実の甘さをおもいださせ、おもわず胸いっぱいに吸い込み、眼は自然に空にむかいます。
   たぶん、この甘い匂いは木の葉の色が変わるにつれて熟れることによるのか、地面に落ちて朽ちていく時に生じるのではないかと想像しますが、なにが原因であれ、寒さが増していく晩秋の小春日和の一日を記憶に残すことはたしかなようです。Indian_summer

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2009年11月15日 (日)

朝顔の種

・・朝顔の
           種手のひらに
                         秋は暮れ・・・
十一月初旬ともなると陽は低くなります。ことし初めて試してみた緑のカーテンの朝顔の花の数もめっきり少なくなり、枯れはじめた枝に残る蕾を探していくと、すでに枯れた蕾がすこし割れています。手を触れると中から種がこぼれ落ちました。これも初めての体験。
   ことしは八月の初めから十一月まで、朝顔には毎日楽しませてもらいました。うまくいくかどうか分かりませんが、緑のカーテンの役目を終えた朝顔の枝に残る枯れた蕾から種を集め、来年春に撒いてみようとおもいます。P10605221
   P10605231
   
ところで、朝顔は秋の季語だそうです。夏咲く花なので夏の季語だとおもっていました。旧暦と今のカレンダーの違いからとのことですが、こうして十一月上旬まで咲くことがわかると納得できます。毎日のように咲き、しかも夏から冬の初めまで咲く朝顔は見かけによらず強い花だということも分かりました。道理で種は大きく、しっかりしています。
    P10605241

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2009年11月 9日 (月)

建物のメンテナンス(維持保全)①

   「建物の鞘(さや)」
                   という方法
   
   戸建住宅の外壁のメンテナンスというと「塗装」が一般的なようですが「板張りによる建物の鞘」という方法を紹介させていただきます。建物はホームページにも掲載している一九九五年十月完成の「土壁と木の家」です。工事費用は、塗装にくらべると六~七割増えますが、耐久性は三倍以上。建物の立地条件によりますが、およそ三十年から五十年もつことが今でも東京の一部で見られる板張りの外壁の住宅の事例から分かります。
   日本の寺社建築では、「鞘堂」や「裳階(もこし)」が、いずれも建物を長持ちさせる方法として専門家の間では知られています。鞘堂は中尊寺、裳階は薬師寺三重塔の各階や法隆寺金堂の一階部分が代表的な事例です。雨風で痛みやすい建物の外壁部分に外側から別の屋根や壁を設けるという知恵です。この知恵を活かしたのが、この「板張りによる建物の鞘」です。〈鞘の中に入る雨水は外に出す〉ようにすることが設計と工事のポイントです。

Small0904302before_3


      メンテナンス<前> 撮影 宮坂公啓 2009・05

   Small0910152


      メンテナンス<後> 撮影 宮坂公啓 2009・10
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      メンテナンス<前> 撮影 宮坂公啓 2009・05

   Smallp1060469


      メンテナンス<後> 撮影 宮坂公啓 2009・10

   Smallp1050582before


      メンテナンス<前> 撮影 宮坂公啓 2009・05

   Smallp1060471


      メンテナンス<後> 撮影 宮坂公啓 2009・10
「燃える木は外壁仕上げに使えないのでは?」という疑問があるかとおもいますが、既存の外壁や窓や換気口が建築基準法で規定される「防火構造」になっていれば、準防火地域でも可能です。
   この「板張りによる建物の鞘」は、家によってモルタルやサイディングによる色や柄がバラバラな外壁の街並みを少しづつ整えていく効果もあります。ただし、板壁にペンキ塗装はしないようにしてください。雨風にさらされる木材にペンキを塗ると木材を腐らせる原因になります。

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2009年11月 2日 (月)

マンションリフォーム公開講座 ③

   「マンションの
                 チューンナップ」
   
    入居一ヶ月前の新築マンションに「できるだけ木材で仕上げをしたい。」という依頼を受けたことがあります。「予算は五十万円」。検討したところ〈壁面積二四㎡に厚さ一〇㎜のヒバ材を張る工事を三日で完了〉させれば予算に納まることがわかりました。
   〈壁面積二四㎡〉というと畳の枚数で十五枚弱。左の写真のように専有面積八〇㎡の4LDKの子供部屋二部屋、寝室、書斎、居間の壁のそれぞれ一面と居間の下がり天井にヒバ材を張ることができました。壁の寸法にあわせて切り落して余る板の端材は工事日程に少し余裕ができた大工さんがトイレの壁の一面に張ってくれました。

Small0703127bef

子供部屋①<TU前> 撮影 宮坂公啓 2007・03
   Small0703193aft

子供部屋①<TU後> 撮影 宮坂公啓 2007・03
   Small0703085bef

子供部屋②<TU前> 撮影 宮坂公啓 2007・03
   Small0703198

子供部屋②<TU後> 撮影 宮坂公啓 2007・03
「マンションのチューンナップ」という言葉は、若い大工さんとのやりとりの中で生まれました。話の前後が逆になりますが、依頼主の方の意図をうかがったときに、『新築のマンション室内の仕上げ材は、壁はビニールクロス、床は塩化ビニール製、天井は石膏ボードといった工業製品ばかりで、小さな子供や出産間近い子供の育児を考えると不安です。少しでも自然素材が感じられる室内にしておきたいのですが、できますか?』という内容でした。仕事の量からいってもリフォームではないし、ハテ?と考え、新車の車のチューンナップを思いついた次第です。

Small0703087bef_2
       
寝室<TU前> 撮影 宮坂公啓 2007・03
   Small0703171midst_2
      
寝室<TU中> 撮影 宮坂公啓 2007・03
   Small0703191aft
      
寝室<TU後> 撮影 宮坂公啓 2007・03
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書斎<TU前> 撮影 宮坂公啓 2007・03
   Small0703194aft
      
書斎<TU後> 撮影 宮坂公啓 2007・03Small0703126bef
      
居間<TU前> 撮影 宮坂公啓 2007・03
   Small0703196
      
居間<TU後> 撮影 宮坂公啓 2007・03
   Small07031911aft
      
居間<TU後> 撮影 宮坂公啓 2007・03
   Small07031912aft
      
居間<TU後> 撮影 宮坂公啓 2007・03
   Small07031916aft
      
トイレ<TU後> 撮影 宮坂公啓 2007・03
すでにご紹介しているマンション木造リフォームのようなマンション・リフォームを業界では「スケルトン・リフォーム」と呼んでいるようですが、構造躯体(スケルトン)と内装・設備は工事工程のうえでは分かれていても、工事全体工程のなかで〈住む人の意思〉を組み込むことは十分に行なわれていないのが実情です。その主な原因は建設業や不動産業の従来の商習慣にあるとおもいます。また、設計上の工夫も不足しているようにおもえます。
   設計段階での〈構造躯体と内装・設備の分離〉については、オランダのJ.N.ハブラーケンという建築家が「オープン・ビルディング」という考え方を提唱しています。この考え方については少しづつご紹介していきたいとおもいます。

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2009年10月25日 (日)

マンションリフォーム公開講座②

   「自分でも出来る
                 土佐漆喰塗り」
   
   「マンション木造リフォーム」についてはすでに触れているので省略して、この公開講座に参加したみなさんに参考までに話した、「ヤル気と根気で出来る土佐漆喰ハンダ仕上げ」についてご紹介させていただきます。
   「土佐漆喰ハンダ仕上げ」とは、多様な左官仕上げのなかの一つで、高知県産の土佐漆喰に黄土を加えたものです。左官工事に詳しい友人から基本を教えてもらい、自分なりの工夫を加えて私の事務所の内装を十年前に試みたところ、未だにひび割れや剥落も起きず、「バター色」のほどよい色に仕上がったうえに塗り厚が約六ミリと厚いので壁仕上げの熱容量が増して、四季をつうじて室温の変化が少なくなるという具合のよい室内温熱環境効果が得られました。
   左の写真は、私の友人が自分の家を土佐漆喰ハンダ仕上げで塗っているところです。この時、友人は六十台半ばでしたが、私が手伝いながら見事にやりとげました。

091003
                        
撮影 宮坂公啓 2004・10
   091003_2
                        
撮影 宮坂公啓 2004・10
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撮影 宮坂公啓 2004・10
   091003_4
                        
撮影 宮坂公啓 2004・10
冒頭、「ヤル気と根気で出来る・・」とお断りしたのは次のような理由からです。以下、ご参考まで。
① 宅急便で届くビニール袋入りの練られた土佐漆喰に珪砂(四号)と黄土をおよそ2:1:1/2の割合で水を加えながら練り合わせます。水の量は黄土とほぼ同量。さらに珪砂とほぼ同量の藁スサをを加えよく練合せます。
②次に下塗り用のK‐YNプラスター(吉野石膏製)をラスボード下地に塗る用意をします。ここで注意するのは、プラスターは水で練った後、二時間で硬化が始まるので二時間で塗れる分量を水で練ることです。練り終わったら休まずにすぐ塗り始めないと硬化が始まります。
③なにごとも下地が大事です。プラスターを塗るのと平行して、仕上げの端部にあたる所(壁際や窓まわりなど)には土佐漆喰のひび割れを防ぐため園芸用の麻で編んだ防寒テープを伏せ込んでいきます。
④ここまでくれば、あとは前もって黄土と珪砂と藁スサを練り合わせた土佐漆喰を根気よく塗っていきます。コテは返し塗りをせずに下地のプラスターの上に仕上げの土佐漆喰を一方向に乗せるような感じで、コテで押さえつけないように塗るのがコツです。下塗りのプラスターが乾かない内に仕上げを塗るのが良いと教科書には書いてありますが、仕上げに塗り継ぎができないように塗る壁の面積をまとめれば、乾いたプラスター下地にハケなどで水を打ってから仕上げを塗ることはできます。
   初めてやる方は、最初からうまくやろうとせずに、タタミ一畳分は練習のつもりでやって、どうすれば失敗するかを見極めてからやることをお勧めします。ただし、水が凍るような寒い季節には不向きな工事です。また、漆喰もプラスターもアルカリ性の強い材料ですのでゴム手袋を忘れずに!ねんのため。

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2009年10月18日 (日)

マンションリフォーム公開講座①

   「自然素材で
            マンションリフォーム」
   
   マンション市場が飽和状態に近づくにつれてリフォーム工事が増えています。東京地域だけで年間約二万三千戸程度のマンションリフォーム工事が見込まれるというマンションリフォーム会社の推計もあります。
   一方、工事金額が五〇〇万円に満たない場合、工事会社は建設業登録が必要のないところから、経験や実績の少ない会社が新規参入しているようで、マンションのみならず住宅のリフォーム工事をめぐっては建築主と工事業者の間のトラブルが絶えないそうです。このような実情から生涯学習を手がける教育機関が公開講座をひらいて一般の人向けのマンションリフォームの知識と情報の普及に取組み始めています。

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芝浦工業大学公開講座2009年度後期講座
     パンフレットより
先日、十月三日から始まった芝浦工業大学生涯学習センター主催の公開講座には約四〇名の参加者があり、私もその講師の一人として一回目の講義を担当させていただきました。ここでは、その概要を紹介させていただきます。
   「こだわりのマンションリフォーム」という演題に対して、教室に集まったみなさんに最初に伝えたのは、いきなり「自然素材というモノ」にこだわるのではなく、まず、「住むコト」を見回してから、「住むコト」のどこにこだわるのか優先順位を考えてみましょうというようなことを伝えました。「住むコト」を目的として、その手段として「自然素材というモノ」がある、という考え方が大切だとおもいます。
   このブログのトップページ右上「カテゴリー」欄の〈 マンション木造リフォーム 〉、〈 室内温熱環境 〉も参考にしてみてください。
2009
                   
配布用レジメより

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2009年10月13日 (火)

里芋

・・土の香に
           里芋包む                                              友の便・・
泥らっきょう」でご紹介した岩下さんから里芋とさつま芋の入った宅急便をいただきました。しかも東松山発午前十時の「当日便」を手配いただいたようで、鮮度は格別。
   缶ビールのダンボールを転用した梱包をひらくと湿り気をふくんだ土の香りがほのかに立ち昇り、丸々とした芋の形に刺激され、食欲のスイッチはオン。P10603051
P10603061
   
さっそく、煮びたしにした里芋は小鉢に盛り付けられて夕食に加わり、もっちりとした歯ざわりと舌ざわりをのこしながら、胃袋へ消えていきました。
   さて、「鳴門金時(なるときんとき)」と「紅東(べにひがし)」のさつま芋の東西対決が楽しみです。
   季節はまさに収穫の秋ですP10603021
   

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2009年10月 4日 (日)

初月

・・初月を
           枕の下に夢を見ん・・
「月が青く見えてくる頃」という言い方があるようです。
   十月は六月と同じように雨の多い月ですが、梅雨にくらべると気温が低い分すごしやすいようで、台風が近づく雨の合間のきょう十月四日、運良く満月をカメラにおさめることができました。0910044
   
きのう十月三日は「中秋(ちゅうしゅう)」。陰暦の八月十五日にあたるそうで、この写真は一日遅れの「中秋の名月」となります。「初月(はつづき)」は歳時記によれば〈陰暦八月初めの月〉。句会の席題ではじめて知りました。辞書に出ていない言葉ですが、声にだして読んでみると、たしかに月が青く見えてくるような気がします。お試しください。

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2009年9月27日 (日)

俳句のおススメ ②

   ~俳句の道具~
                                                     なにを始めるにもその道具から入るのが私のクセで、浅学非才のわが身をすこしでも支えようと、俳句づくりに道具をつかっています。俳句づくりに必要なのは筆記用具と紙があれば済むのですが、「道具好き」のひとのためにすこしばかり紹介します。
   まず、なくてはならないのが、携帯電話と電子辞書。携帯電話はパソコンと同じようにローマ字入力ができるものを一年ほど前から使っています。「アイウエオの「ウ」とか、「オ」とやっているとせっかく浮かんだ言葉が途中で消えるような気がするからです。頭に浮かんでくる俳句は、まさに神出鬼没で、電車のホームでもトイレのなかでも思いついた時に携帯電話であればメモにのこせます。電子辞書は漢字を確かめるためと、少ない自分の語彙をおぎなうためです。

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                                                  電子辞書と同じような目的で歳時記も使っています。また、夜、床について歳時記を読んでいると数分たたない内に眠くなり、朝起きた時に、いい俳句が浮かぶような気がするからです。

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                                                     硯(すずり)は、句会会場で席題の句をつくるときに、墨をすって気持を俳句に集中させようとケナゲなドリョクをするためです。句会で配られる短冊に清書する前に浮かんだ句はいちど筆で半紙に書いて確かめます。短い時間ですが、読み直して句調や漢字とひらがなを整えるためです。半紙は下書き用のいちばん安い紙をつかっています。

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                                                     スクラップブックには、新聞に掲載される俳句のなかから自分で気に入ったものを切り抜き、日頃からできるだけ俳句に接するようにしています。

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                                                     毎日仕事に追われていると、なかなか俳句をつくる気分になりませんが、このような道具があると、道具を触っている内に、気持ちを〈俳句モード〉に切り替えることができるようです。とはいえ、そのわりに、なかなか良い句ができません。どうやら俳句は「打率1割」のようで、そのためにも、俳句を沢山つくるのが上達の道のようです。

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2009年9月21日 (月)

俳句のおススメ ①

   ~五感と語感で四句八句~
二〇〇三年の十二月ごろ友人に誘われ、はじめて句会に参加しました。その句会には顔見知りもいて、また、句会会場が私の好きな横浜の、「港が見える公園」内の大仏次郎記念館ということもあって面白半分のごくかるい気持ちで出かけました。
   はじめは、自分の見た風景や心境を五七五の十七文字にまとめればいいんだろうぐらいの気持ちでやっていましたが、一年過ぎてもなかなか俳句らしくなりません。
   そのうち、二〇〇五年の四月に自覚症状が全くないのに三週間ほど入院せざるを得なくなり、もてあます時間をつぶすためにベットに持ち込んだ本が高浜虚子の「俳句はかく解し かく味わう(岩波文庫)」。Takahama_kyoshi
   
ひまにまかせてこの本をくりかえし読んでいるうちに、なにごとも基本が大切なようで、なんとなく俳句の入口が見えてきたような気になり、退院後の句会に投句したものが、ようやく当日の秀句として選ばれるようになりました。その句がこのブログ開始直後にご紹介したものです。
    季節の移り変わりを五感のアンテナで受け止め、アーデモナイ・コーデモナイと語感をさぐりながら五七五を拾いあつめる―言い換えれば、〈四季とともに移り変わる言葉の海から十七文字を釣る〉―とでもいえるかもしれません。〈身体で感じ、身体で考える遊び〉ともいえるでしょう。効果の怪しいサプリメントなどより、はるかに身体と脳に効くのが俳句です。お勧めします。
    ただし、部屋の温熱環境は四季の変化を感じるように、冬は冬らしく少し寒く、夏は夏らしく少し暑いほうが俳句づくりにはいいようで、〈エアコンのある快適な部屋の隣〉で寝起きするほうが五感と語感は鋭敏になることをご承知おきください。

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2009年9月13日 (日)

ティンバーフレーム:見える骨組み⑤

花や野菜を扱う店舗には、とくに木造の見える骨組みは相性がいいようです。ボストンの郊外で長年に渡って自家菜園で育成した花と野菜を販売するWilson Farm(創業一八八四年)は、一九九六年に開店した直営店の建設をBensonwood社に依頼しました。

Wilson_farm_boston
                        
撮影 宮坂公啓 1996・10
私が見学に訪れたのは竣工が数週間後に迫った十月上旬でしたが、ハローウィン(十月末の収穫感謝祭)間近の店舗は営業していました。
   生花と新鮮な野菜をあつかう店舗室内の高い湿度を調整するため、構造体外側に設けた断熱材は通気性のある材質とし、外壁仕上げと断熱材の間に通気層を設け、室内の湿気が外部に抜けるように設計されていました。
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撮影 宮坂公啓 1996・10
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撮影 宮坂公啓 1996・10
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撮影 宮坂公啓 1996・10
   Wilsonfarm_boston
                     
撮影 宮坂公啓 1996・10
Bensonwood社は、約百年間途絶えていたティンバーフレームを復活させた会社の一つとして米国では知られていますが、伝統的な木造技術の更新と新しい技術や設計との取り合わせに絶えず前向きな姿勢を保ち続けています。また、会社は事務所と工場が一体になった建物で、事務所では設計者や構造エンジニア、現場監督、その他スタッフが机をならべ、事務所の階下と別棟の工場には構造、外壁、室内造作、家具などの加工・組立設備が整い、建設会社(builder)と呼ぶより、設計と施工を一貫して行なうファブリケーター(fabricator)の名がふさわしい会社です。Bensonwood社では設計から工事施工までの全てのプロセスが、〈見える骨組み〉とおなじように見えるようになっています。

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2009年9月 6日 (日)

ティンバーフレーム:見える骨組み④

〈室内にしっかりした建物の骨組みが見える空間〉にいると丈夫な建物で身体が守られているというような独特の安心感をおぼえます。その場所に居る人たちにとっては、このひとりひとりの安心感がつながって連帯感となっていくようで、とくに中規模な空間をつくることに適している木造は、この効果が大きいようにおもえます。
しばらく間が空きましたが先にご紹介したバーモントビルディングにつづいて、この効果の好例としてBensonwood社が設計/施工したKing Arthur製粉会社の本社を紹介したいとおもいます。
   この建物では上下階の空間のつながりを大切にするために階段室が巧みに使われています。

King_arthur_7
                     
撮影 宮坂公啓 1996・10
   King_arthur1996_3
                     
撮影 宮坂公啓 1996・10
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撮影 宮坂公啓 1996・10
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撮影 宮坂公啓 1996・10
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撮影 宮坂公啓 1996・10
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撮影 宮坂公啓 1996・10
   

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2009年8月30日 (日)

あさがお

・・朝顔の
          つるの行く手に水をやり・・
「緑のカーテン」をためしてみようと、通りに面した事務所の窓に園芸ネットを張り、朝顔の鉢を二つ置いてみました。Asagaono8
Asagaono3
Asagaono4
Asagaono7
   
「朝の顔」とはよくぞ言ったもので、毎朝、つるの先に入れ替わり立ち替わり花を咲かせるので、つい、つるがのびる先のネットに水をやっている自分に気づき、ひとりでニガ笑い。とはいえ、緑のカーテンの結果は上々で、冷房のエアコンの運転時間は、だいぶ減りました。やはり、熱は〈入口〉で防ぐのが原則です。Asagaono1
Asagaono5
   

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2009年8月23日 (日)

西瓜

・・菜切り刃
         ふれてはじける西瓜かな・・
実のはちきれそうな西瓜に菜切り包丁を入れた時の、あのスパッという感触は日本人なら誰でも知っているとおもいます。Water_melon_before
   
包丁がよく切れるからなのか、西瓜の出来がいいからか、一つの西瓜が二つにはじけ、みずみずしい甘い香りが食卓にひろがれば夏の暑さもまた良し、というところでしょうか。Water_melon_after
   

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2009年8月16日 (日)

蘭の花

・・梅雨晴れの
               窓辺を踊る蘭の花・・
四季の移り変わりのなかで蘭の花が梅雨の季節に咲くのかどうか知りませんでしたが、曇り空の続いた七月にふと目にとまり、おもわず見とれたのが、この蘭の花。Orchid_1
   
連想したのは、ダンサーの踊る姿。バレーダンサーのようでもあり、フラメンコダンサーのようでもあり、、、梅雨晴れの光の中でイメージはふくらんでいきました。Orchid_3
   

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2009年8月10日 (月)

住むことについての見識②―「住めば都」 その五―

茨城県会館について私が考えたことを、当時掲載された雑誌からもうひとつご紹介します。
  また、参考までに当時の新聞記事も転載します。
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            * * * * *
  (Journal of TIMBER ENGINEERING No56 2003.11より 木質構造研究会発行 事務局―東京大学大学院 農学生命科学研究科 生物材料科学専攻 材料・住科学講座 木質材料学専攻分野)
   日々雑感

   
築後百年ちかい木造の
   建物の中で考えたこと

   
―樹齢と〈築齢〉、
               そして木材の履歴など―、
                       宮坂公啓 宮坂建築事務所
今年の五月末頃、私が所属するNPO木の建築フォラムの事務局が手狭になってきたので、今(約一坪)より広い所はないかと、インターネットを検索して目にとまった地域雑誌「谷根千」をたよりに(http://www.yanesen.net/topics/expired/2003/06/)文京区根津二丁目十四番地に建つ茨城県会館の見学会に参加しました。
   この見学会は、いわゆるオープンハウスの形で建物を公開するなかで、文化財としての価値や保存活用策を広く来場者に問いかけていました。この運営は、地域の市民活動グループ;「たいとう歴史都市研究会(NPO:十一月登録予定)」と「文京たてもの応援団」のボランティアの手で行なわれていました。見学会は、その時すでに四回目を数えていましたが、建物所有者の茨城県と建物所在地自治体の文京区は、この建物の保存活用に関心を寄せる市民グループに対して、行政機関として何も為す術をもたず、茨城県議会の議決である「今年度の歳入不足約八百億円を補うために県有未利用施設を競売等により処分する(競売落札予定価格=六億八千万円(今年十月下旬に判明、路線価に相当))」というレールに乗ったまま、事態は進んでいました。
   七月上旬に、文京区民による「茨城県会館の保全活用に関する*請願」が、全会派一致で採択され、事態が好転するかに見えたことがありましたが、事態に変化は起きず、八月三十一日の第六回見学会を迎え、九月半ばには茨城県担当課から、建物見学は今後、購入希望者に限る旨を面談の席上で言われました。
   ---------------------------
   
*「茨城県会館旧職員東京宿泊所の今後の土地建物利用について、区民等による保存を含めた有効活用に関し、茨城県との交渉を支援すること」
 
この原稿の執筆依頼を受ける直前の十月二十日に茨城県知事は、競売を正式に決定しています。
    また、最近の伝聞によると、次のような経緯が伝わって来ています。『一昨年(二〇〇一)東京都が、この建物を歴史的建造物に選定すべく茨城県に打診したが、当時の県庁担当課にこの選定を受ける意志はなかった。昨年夏(二〇〇二)になると、現在の県庁担当課が文京区にこの施設の買取りを打診したが、文京区は関心を示さなかった。』
    さて、私がこの原稿の主題について考えたのは、第六回見学会の時に、この建物の一角にある木骨軸組煉瓦造の蔵(明治四三年(一九一〇)建築の二階で、来場者に建物の特長を説明している時です―この時点で私は見学会運営スタッフの一員(ニガ笑い)―。
   この時の来場者は約五〇〇名。蔵の二階に上がる階段は急勾配でハシゴのようにもかかわらず、老若男女を問わず、次から次に上がってきては小屋組の太い丑梁や小屋梁を見上げてはため息をつき、私が丑梁下端に取付けられた棟札に懐中電灯を当てると、すかさずカメラに納めていました。
 
樹齢と〈築齢〉、
    そして木材の履歴など
私は見学者のみならず行政機関の担当者が、次のようなことを共通の認識としていれば、木造の建物に共通の価値観をもてるはずだとこの蔵の2階で考えていました。
   ・木造建築には、木材の樹齢に相応した建物の寿命が与えられている。なぜなら、樹は伐採後、樹齢とほぼ同じ年数の間、木材としての強度を保ち続ける。木は二度生きるとも言う。
   ・・・しかし、木材強度について多少なりとも知識のある者であれば、長い風雪に耐えた大木、すなわち木材として長持ちするとは考えません。
    たとえば、木挽き職人の聞き書きには「挽いてみなければ分からないのが木の素性」とあり、家業を代々継いできた林業家は「樹を伐ることは、樹の過去を暴くことでもある。」と言います。さらに、注文挽きを専門とする製材所では「樹の背と腹、元と末を守って適材適所に製材するのが勤め」と聞き、また、大工は「年輪の目詰まり程度」を木材強度の目安にしていると聞けば(現状では、このような製材所や大工は極めて少ない)、樹から木材の段階でも、事はそう単純ではないことが想像できます。
   加えて、木材の耐久性を保つ設計や構法的措置が建物に為されたか?そして人が住んだ後、どのような維持管理が為されたか?まさに素材加工―組立―使用のプロセスの履歴が分からなければ、上の命題は設計指針を支える経験則にも成り得ません。 現存する木造の建物だけを手掛かりに、使用木材の樹齢と、築後年数(以下、築齢)を関連づけ、経験則とするのは避けなければなりません。
   したがって、私は今、この命題を、つまり「樹齢と築齢のプロセスの履歴」として情報化することで、築後百年ちかい木造の建物や中古木造住宅のストックを活用できないかと、考え直しているわけです。
   古い建物の多くは文化財としての価値が問われ、当事者が価値がないと判断すれば、一部の部材を再利用することはあっても、ゴミとして処理されるのが通例です。
   もし、ここに述べたような木造の建物の「樹齢と築齢のプロセス」が短期間に判定できるようになれば、文化財価値の有無にかかわらず、ごく普通の木造住宅でも、建っている場所にふさわしい用途に転用されるか、新たな居住者の要望に沿って改築され、〈第二の森〉の一木一草として育成されていくのではないでしょうか。これはTimber Engineeringと都市再生の重要課題と考えますが、いかがでしょう?
   追記:平成十五年十月五日に「根津・茨城県会館(旧田嶋邸)を活かす会」(代表:宮本瑞夫)が、文京歴史的建物の活用を考える会(文京たてもの応援団)、たいとう歴史都市研究会、NPO木の建築フォラムなどを発起団体として発足しました。
        
* * * * *
Photo
撮影 2003・05たいとう歴史都市研究会
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撮影2003・11 宮坂公啓
              (この項つづく)

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2009年8月 2日 (日)

住むことについての見識②―「住めば都」 その四―

この茨城県会館は、いろいろなことを私に教えてくれました。当時の「国土交通けいざい二〇〇四年一月号(編集協力 国土交通省総合政策局 発行 財団法人 経済調査会)」に掲載された私の文章を転載します。
      * * * * *
  市民発意のまちづくり情報
   
町の景観に欠かせない
        古い建物の共有を考える

   
―根津・茨城県会館(旧田嶋邸)を
                        活かす会―

   
根津・茨城県会館の
        保存活用活動をとおして
  
現存する歴史的な建物を創建当時の人たちと同じような環境の中で見るにはどうすればよいか?学生の頃、このようなことを考えたあげく、私は友人数人と意を決して、懐中電灯も持たずに真夜中の古いお寺の本堂に忍び込みました。うす暗がりの中で金色にほの光る仏像と向かい合うと、それまでの恐怖心はどこかに去り、しばらくその場に座り込んで、「歴史的な建物を見るには星明かりの夜が一番」と友人と相槌を打ったおぼえがあります。
   たしかに、歴史的建造物は昼の太陽や夜の照明の下では古さばかりが目につきます。古い建物は現代の生活では無用な部分もあり、鑑賞の知識を事前に調べても建物を前にすると、その歴史をなぞるか、空想するだけで、一般の人にとってその価値は判然としないまま、まるで置き物として眺めていることが多いのではないでしょうか。
   「文化財だから価値がある」という論法は、専門家にとっては必要です。しかし、この判断が社会一般の曰常生活にどこまで有用であるかが理解されなければ、たとえ一時的に古い建物を保存・再生することができても、建物として用いられなければ、年月を経ていずれ、無用の長物となります。
   市民グループ「
たいとう歴史都市研究会文京歴史的建物の活用を考える会」は二〇〇三年十月、発起人有志約六十名を募り、「根津・茨城県会館(旧田嶋邸)を活かす会」を設立しました。目的は、東京都文京区・根津にある茨城県会館の保存活用活動です。

2003yanesen_area_by_shiihara
   地図(作成‐たいとう歴史都市研究会)からも分かるように この建物の最寄り駅は地下鉄根津駅ですが、この建物に到る道は根津駅を含めて六つあります。最寄り駅から行くと、この建物は「裏通りにある普通の古い木造の建物」ですが、上野、鴬谷、曰暮里、西曰暮里、干駄木から歩き、建物の前に立つと印象は違います。つまり、この地域の町の風景を歩いて確かめながら(高層マンションが目ざわりですが)この建物に近づいて行くと、この建物がこの地域の景観の一環になっていることが分かります。
   この建物が失われた後を想像すると、会員の椎原晶子さんは「真珠のネックレスの真珠のひと粒が外れ、ネックレス自体がばらばらになるよう」と言います。すなわち、普通の木造の建物が年月を経てその土地に根付くと、その建物は町の景観に欠かせぬ役割(価値)を担っているわけです。
   私の試算では、古い建物によほどの欠陥がない限り、建物の骨組みを活かして再生する費用は建物用途の変更にともなう特殊な設備をのぞけば、建替え費用のおよそ半分で可能です。建物の建替えを計画する際に、その建物が建つ場所の地域特性を読み、地域に根付いている建物であれば、再生活用するほうが、町づくりにも役立つと思われます。この価値は地域の市民資産といえるでしょう。
   二〇〇三年十一月半ばの今、茨城県会館は所有者である茨城県によって、競売にふされようとしています。関係行政機関の皆さんには、ここで述べたような、文化財を共有する方法について再考をうながしたいと思います。茨城県会館と同じような木造の建物は、まだ全国に数多く建っているのが実情です。
   
(担当‐根津・茨城県会館(旧田嶋邸)を活かす会 会員 宮坂公啓/編集協力-のぶ企画)
       * * * * *
              (この項つづく)

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2009年7月26日 (日)

住むことについての見識②―「住めば都」 その三―

縁はふしぎなもので、前回書いたように二〇〇二年の暮れに偶然、私が二、三歳の頃に住んでいた家を見つけたところ、翌年の春ごろ、その家から五十メートルも離れていない所に建っていた木造の建物の保存運動に参加することになりました。

Photo  
作成 2003・05 根津・茨城県会館を活かす会
Mitorizu   
作成 2003・05 根津・茨城県会館を活かす会
0312   
二階の座敷 撮影 2003・12 根津・茨城県会館を活かす会
私の記憶では、この家は〈黒い塀と竹林で囲まれた料理屋のような大きな家〉でしたが、二〇〇三年当時は「茨城県会館」という茨城県の職員が東京に出張する際の宿泊施設でした。後から分かったことは、「料理屋のような大きな家」は、敷地約五〇〇坪の料亭「翠月」。昭和十八年(一九四三年)にこの建物を手に入れた画商の高橋武三さんが経営していたそうです。当初の建物は、東海道線の丹那トンネル工事を請け負った土建業の田嶋浅次郎さんが建てたレンガ造の蔵(明治四十三年)と本館(明治四十四年)と大正五年に増築した玄関棟。関東大震災に耐え、戦災から免れた築後百年も間近い、東京では貴重な堂々とした屋敷でした。

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撮影 宮坂 公啓 2003・09
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レンガ造の蔵の棟札に「明治四拾参年」と建築主、「田嶋」の文字。撮影 宮坂 公啓 2003・09
   
保存運動は実りませんでしたが、運動の趣旨は理解されたようで、レンガ造の蔵は敷地内で移築して飲食店に転用され、庭園の大半は残りました。しかし、木造の建物は鉄筋コンクリート造の高齢者介護施設に建替えられ、建物の雰囲気は全く別物になっています。
   記憶はとかく、美化されがちになりますが、私の幼い時の記憶とこの茨城県会館の保存運動をとおして分かったことは、「コミュニティ」という外来語の「共同体」という意味には、「そこに住む人のなかで共有できる建物とまちの記憶が含まれている」ということでした。
              (この項つづく)

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2009年7月19日 (日)

住むことについての見識②―「住めば都」 そのニ―

もう一つの私にとって「住めば都」とよべる場所は、私が三歳になるすこし前に母と母の兄と三人で住んでいた上野動物園の裏手にある池之端の貸家です。一九四六年一月に中国の揚子江中流にある漢口市で生まれた私は、生後六ヶ月の時に母に抱えられ、引揚者として船で漢口から揚子江を下り、上海で船を乗換えて横須賀へ渡った後、いったん母の実家にある広島戻ってから東京へ出て、目黒の知人の家から上野へ移ったそうです。私の住まいの記憶はかすかながら目黒から始まっています。
 「上野動物園の裏」という記憶をたよりに、「池之端の家」を何度か探しましたが見つかりませんでした。しかし、ある時(二〇〇二年年末ごろ)、串揚げで有名な「はん亭」で食事をして店の外に出たとたん、幼い時の道の風景の記憶がよみがえり、当時からつづいていた理髪店と大谷石の石垣(当時は個人の豪邸、現在、都立上野高校グランド)をたよりにこの写真の家を見つけ出しました。町の理髪店と大谷石の石垣が幼い私にとってはランドマークであったわけです。

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撮影 2003・01
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撮影 2003・01
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撮影 2003・01
私たちが住んでいた家は南側と北側を狭い道路に挟まれた貸家で、二階は東側の窓から上野の街の瓦の家並が見えましたが、一階はうす暗かったおぼえがあります。幼い私の記憶に残っていた理髪店のある道は北側の玄関を出てすぐ東側の、北へ行くと上野動物園の裏口、南に歩くと不忍通りにでるいつも明るい陽射しに照らされた道でしたが、この明るい道の記憶があるのは、住んでいた家の一階のうす暗さの影響があったからだとおもいます。私の幼年時代の記憶のなかで、「家」と「道」と「まち(街または町)」という言葉は「住めば都」という言葉とつながっています。

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撮影 2003・01
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撮影 2003・01
   Map

地域雑誌「谷根千」より 黄色の線で囲ったあたりが幼なかった私の記憶にある場所
ところで、わが家で時々でる笑い話の一つに、母と私が上野から今、住んでいる中野に引越してきた時の家財道具の話があります。母によると、中野に引越してきた時三歳になっていた私は、近所のひとに「行李(こうり)一つをリヤカーに乗せて上野から歩いて来たんだよ。」と自慢気に言うので、当時二十代後半の母は恥ずかしくて仕方がなかったと大笑いしながら家内や子供たちに話します。一九四九年当時のわが家は、父は戦犯で服役中のため不在。行李一杯の家財道具を当時、「運び人足」とよばれた人に頼んで上野から中野に引越して借りた部屋は四畳半。今、住んでいる家の前に建っていた木造住宅二階の一部屋の間借りでした。六十年後の今と当時のシンプル・ライフよりさらにシンプルな〈シンプラー・ライフ〉を比べると、まさに隔世の感があります。まち、家ともに大きく変わりましたが、私の中の「住めば都」という記憶は変わりません。根津は私にとっては「故郷(ふるさと)」とよべる場所です。
              (この項つづく)

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2009年7月12日 (日)

住むことについての見識②―「住めば都」 その一―

〈どんな所でも住み慣れると、楽しい所になる。〉という意味で「住めば都」という言い方がありますが、私にとっては「楽しい」というより「そこに行くと心が和む」という場所があります。
その一つは、現在の家の近くにある「たきびの歌の発祥地」。真夏でも欅の葉が鬱蒼と繁るので涼しく、秋になれば紅葉、冬になれば空高くのびる欅の枝、春はその枝に芽吹く若葉、と四季折々変わる風景は散歩する者にとって格別な場所です。
   写真のように手入れの行き届いた竹垣をみるたびに、ここに住んでいる方のご苦労に頭が下がります。また、長年近所に住んでいる者として自分の家も街並みの一部に何か役に立たねばと襟を正す気持ちになります。               (この項つづく)

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2009年7月 5日 (日)

住むことについての見識①―「家具のような家」とは?―

「まちづくり」や「家づくり」について今まで触れてきましたが、「住むこと」について少し考えてみたいとおもいます。
日本語で「住宅」と「住居(「じゅうきょ」または「すまい」)」という言葉を使い分けるように英語でもHouse とHomeは使い分けられています。たとえば、「ハウスメーカー(House Maker)」と言っても「ホームメーカー(Home Maker)」とは言いません。「家づくり」はHouse Buildingとは言わず、Home Buildingというようです。「夢のマイホーム」は「My Dream Home」からきているようで、つまり、ハウス(住宅)は誰がつくっても同じようになる、単なる箱モノであるのに対し、ホーム(住居)は、住む人が主体的に関わる「家」、あるいは「住む場所」、「住むこと」を指しているようです。このことは、世界的にみても共通しているようです。
   さて、話は大きくなりますが、どうやら私たち日本人の生活は、量質ともに〈住宅不足〉の時代が長かったせいか、住宅や家のことを考える際に、《住むモノの不足を補う》発想から抜け出られず、《わが家》を確保することに精一杯で、「家と町」のつながりや「いま在る家や町をどう活かすか?」、「どのように住むか?」など、つまり「住むモノ」と「住むコト」のバランスに目を配ることの大切さに気づかないまま過ごしてきたようです。
   現在起きている高齢者世帯の広すぎる住宅と子育て世帯の狭い住宅のミスマッチ、住宅が余っているにもかかわらず増える高齢者の有料介護施設などは、その現われではないでしょうか。
   このように「住宅」と「住居」の内容は、〈住むモノ〉と〈住むコト〉の関係以上に家と町の空間の中で、また、社会を流れる時間と共に変化しているということに気づいてみると、先にご紹介したTedd Bensonがティンバーフレームに取組むきっかけになった建築主の言葉―「家具のような家」―は、優れて住むことについての見識を示しているとおもいます。
   この言葉は謎解きの言葉のようで少し分かりにくかったかもしれませんが、〈(良い家具が世代に渡って誰にも使われるように)いつまでも住むコトができる家〉を指していたのだと、 いま改めておもいます。
   左の写真はBensonwood社が設計施工したティンバーフレームの多様な室内。どの写真を見ても〈いつまでも住むコトができる家〉のように見えませんか?
*     *     *     *     *     *     *
    日本全国の住宅戸数が数字のうえでは世帯数を上回り、家の利用法を考え直す時代に入ったのは一九九〇年代の初めですが、すでに二十年ちかく経っています。全国平均では、住宅十棟についておよそ一棟が空き家の町や街が現在進行中ということになります。

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撮影 宮坂公啓 2001・04
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撮影 宮坂公啓 2001・04
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Bensonwood社HP2008・01・08 より
   080125_massachusetts_party_barn
        
Bensonwood社HP2008・01・25 より
   080129a_loft_bedroom_of_a_new_hamps
        
Bensonwood社HP2008・01・29 より
   080131a_great_room_and_a_loft_off_2
        
Bensonwood社HP2008・01・31 より 

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2009年6月28日 (日)

泥らっきょう

・・・雨だれを
         ・・数えて磨く泥らっきょう・・
土のついたラッキョウをいただきました。
   「ラッキョウ」といえば瓶詰しか思い浮かばなかったので、「ラッキョウ、食べる?」と聞かれた時に「はい、いただきます。」と軽い気持ちで答えたところ、じゃがいもや大根といっしょに送られてきたラッキョウには土がついていました。送り主は句会で一緒になる岩下さん。
   さて?とおもってネットでしらべてみると「ラッキョウの漬け方」は出ていましたが、土のついたラッキョウの土を落とすのが思いもかけず一苦労。雨の降る夜十時ごろから始め、ラッキョウを一つずつタワシでこすり土を落とし、薄皮をはぎ、これを繰り返し、終わったのは十一時半過ぎ。流しの前で同じ姿勢を続けていたので背中の筋肉と腰が痛くなりましたが、ラッキョウの土落としとタワシ磨きのおかげでいろいろ考えさせられました。―都会人の浅薄さ(自分のこと)、丹精されたラッキョウの見事さ、そして「農業と食べること」と「住むこと」との大事な関係―などなど。

Scallion1


塩漬けの塩加減を決めるためにラッキョウの量を計ったところ約1㎏強。われながら一人でよくやったとおもいますが、岩下さんの丹精ぶりにはとてもかないません。岩下さんはタイのチェンマイで「未来厨房」も開設しています。また、設立準備中のCarpentry CyberCollegeでは興味深い岩下さんの電子ブックやほかのブログを読むことができます。Scallion2
・・泥らっきょう
              雨音止めば白き玉・・

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2009年6月21日 (日)

帆船

・・・埠頭に立つ
               帆船高し南風・・・
帆船を見るとなぜか元気が出てきます。
   いま、「帆」というと帆布の鞄やバックを連想するひとが多いのではないかとおもいますが、子供の頃に「宝島」や「シンドバッドの冒険」、「十五少年漂流記」、「冒険船長」などの小説や、ディズニーの「ピーターパン」やハリウッドの《海賊もの》の映画を見て育った者にとって帆船は、すこし大げさですが、特別な存在です。「帆」といえば帆船。帆船を見ると子供の頃に刺激された脳の一部が呼び覚まされるのではないでしょうか。

Cuauhtemoc_mexico_no1
   Cuauhtemoc_mexico_no4
   Cuauhtemoc_mexico_no2_2
   Cuauhtemoc_mexico_no3


右の写真は六月九日に晴海埠頭で幸運にも乗船できたメキシコ海軍訓練用のクワウテモック(Cuautemoc)号(一九八二年スペインで建造)。四百年前(一六〇九年)の九月に当時スペイン領だったフィリピンからメキシコに向かったガレオン船、サン・フランシスコ号が房総半島御宿沖で難破したところを海女の人たちが助けたことが縁で続けられている千葉県御宿町との交流のため来日したとのこと。横浜、東京に寄港し、六月十一日に晴海埠頭から御宿港へ向かい、交流事業に参加した後、帰路についたそうです。
   荒波押し寄せる海に百数十人の船員を乗せた大きな船を、自然の風を利用して帆走させる人の知恵にあらためて驚かされます。物言わない帆船同士が情報伝達につかう信号旗もその知恵の一つ。
・・・夏空突く
              マストをのぼる信号旗・・・
・・・静けさや
              遠来の船帆をたたみ・・・
「tall ship CUAUHTEMOC」で検索するとその勇姿を見ることができます。
Tallshipcuauhtemoc
   Tuf7jpcmrdmblqtuf731gosuvf73100
   Zmexico1


   
次のサイトでは船上の様子が分かります。
    http://www.vthawaii.com/OAHU/Cuauhtemoc/Ship.html

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2009年6月14日 (日)

さくらんぼ

・・さくらんぼ
            歯を当てころがす舌の先・・
形も良い、色も良いさくらんぼを口にいれるとおもわず食べてしまうのが惜しくなり、さくらんぼの実を舌の上でころがしている自分に気づきます。Sakuranbo1
   
さくらんぼの実には、ほかの果物には見られない、つまむのにちょうどいい茎がついていることもあって、こういうことになるのかも。そこで、
   
・・さくらんぼ
            噛みもて遊んで五・七・五・・

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2009年6月 7日 (日)

家づくりの見識⑤―「建てることは永遠に続く行為」―

ものづくりの機械化が進んだイギリスの産業革命期(十八世紀半―十九世紀半)に手仕事の大切さを説き、日常生活に美しい物を使うことを提唱したウィリアム・モリスに影響を与えたといわれるジョン・ラスキン(一八一九―一九〇〇)は、次のような言葉をのこしています。
     * * * * * * *
   建物を建てる時、建てることは永遠に続く行為だということを考えてみよう。建てるという行為をその時の建てるという歓びや、その時の使うという目的のためだけにならないようにしよう。子孫から感謝されるような仕事にしようではないか。さらに、われわれが石の上に石を積んでいくときには、その石がいつの日にか、われわれの手が直接触れたという理由で神聖なものに変わる日を想像してみよう。その時、人々はわれわれの仕事としっかりとした物を見上げて次のように言うだろう。「見てみろ!これはわれわれの父がわれわれのために行なったことだ。」
            ―ジョン ラスキン
     * * * * * * *
  Audels Carpenters and Builders Guide#1~#4(初版1923、再版1939、復刻1946)各巻の序文に引用されているラスキンの文章より邦訳-宮坂公啓Johnruskinquote
John_ruskin

  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
   ところで、今、日本では「長期優良住宅」を建てると国の補助金を使える制度が進行中です。
  「見てみろ!これは当時の政府が選挙対策のためにばらまいた金に釣られた人たちが建てた住宅だ。」と私たちの子孫から言われるのではないか、心配になるのは私だけでしょうか?

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2009年5月31日 (日)

家づくりの見識④―「建てる・住まう・考える」―

「建てること」と「住むこと」は本来、「住むために建てる」という一つの意味の言葉で、また、「住むこと」によって人は「考えること」を通して人としての自由を得ることでもあるとする、ドイツの哲学者、マルティン・ハイデッガー(一八八九―一九七六)が一九五一年におこなった講演は(左写真、「ハイデッガーの建築論」中村貴志訳編・中央公論美術出版二〇〇八年十一月発行より)、家づくりの見識として現代の私たちにたいへん重く響く内容をもっているとおもいます。Photo

 
この講演はドイツが東西に分断された二年後にドイツ国内で開かれた国際会議で行なわれたもので、会議には前回ご紹介したル・コルビジェや著名な建築家が参加して、「空間と緑と太陽」のあふれる住宅建設によって住宅不足を解決する提案がなされる中で、ハイデッガーは『・ ・しかし、そのような住居には、はたして、〈住まうこと〉が成り立つ保証が含まれているだろうか。(本書五頁)』と述べたそうです。
   ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
  「建てること」が商品として「住むこと」から分離し、「家族を含めた色々な人が共に過ごす家」がホテルか旅館のような部屋の集合体になっているマンションや建売り住宅、建築主の趣味の塊と化したとも見える戸建住宅などが溢れる私たちの住環境を、ハイデッガーは、「あなたがたの住まい方からでは、故郷(ふるさと)はできない。」と言っているようです。ハイデッガーのこの講演内容の英訳は次のサイトに掲載されています。
Building Dwelling Thinking
-Martin Heidegger-

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2009年5月25日 (月)

家づくりの見識③―「住宅は住むための機械。次に・・」―

一九六〇年代の半ば頃に知った、二十世紀を代表する建築家、ル・コルビジェの言葉、「住宅は住むための機械」には次のような続きがあるということを、左の写真の本(松山巌著「建築はほほえむ 目地 継ぎ目 小さき場」二〇〇四年四月初版 西田書店発行)で知りました。Photo

 
《・・・住宅の「二つの目的」の第一は、家事仕事や快適に過ごすための入浴や洗面などが便利なように行き届いている「住むための機械」であること。次に、人にとって欠かすことのできない、大切な沈思黙考のための場であり、そこには美しさがそなわり、静謐を心にもたらす、そのような場でもあること。》(『エスプリ・ヌーヴォー(新しい精神)』山口知之訳(一九八〇)―宮坂が要約―
    このように「家は物事をじっくり考えることが出来、同時に、美しさがそなわっていて、くつろぐことができる場所であるためには「住むための機械」が必要。」となれば、これは見事な家づくりの見識といえましょう。また、人によっては「機械」ではなく、「道具」が良いかもしれません。
  振り返ると、便利さを追った二十世紀の時代には、私自身もふくめ、「住むための機械」という言葉に多くの専門家や一般の人が振り回されました。独り歩きしている言葉や、思い込みには注意したいものです。

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2009年5月17日 (日)

家づくりの見識②-古い家に手を入れ続けること-

This Old Houseという過去一六回エミー賞を受賞したテレビ番組があります。米国のボストン地域で二九年つづいているそうです。090517this_old_house_logo

 
創業者のRussell Morashさんは、ボストン地域の公共放送のTVプロデューサーで名人シェフを紹介することで知られた人。Morashさんは、一八五一年に建てられた農家の再生に取組んでいた時に、「住宅は建築主やDIY愛好者の改築のヒントになるばかりでなく」、「家のあるべき姿を拡大することができる」ことに気づき、This Old Houseのアイデアが生まれたと一九八二年に回想しているそうです。つまり、「古い家を住み継ぐために手を入れつづけることが真の家づくり。」という見識です。
  番組の特徴は、大工工事、造園工事、配線・配管工事のプロが、いろいろな方法を懇切丁寧に教えるところで、ホームページではビデオをみることができます。また、この工事のプロたちが、長年にわたって変わっていないのも番組の特徴です。
    紹介される多岐にわたる改築工事に必要な建材と工具がひと目で分かる一方、建材や工具のCM色はいなめませんが、概算見積りと工事にかかる時間や日数の目安が示されているので、DIYでやるにせよ、専門業者に頼むにせよ、建築主や居住者にとっては、たいへん参考になるサイトだとおもいます。
  料理のように素人がプロから学ぶというところが日本の住宅建設業界では遅れているのでは?!
  私は一九九六年にBenson Woodworking社を四度めに訪ねた時に、この番組の人気ホストのTom Silvaさんを紹介されました。Silvaさんは工務店の社長でBenson社の現場を担当していました。いまでも元気に活躍している姿をThis Old Houseのホームページで確かめることができます。

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2009年5月11日 (月)

家づくりの見識①-人と建物の関係-

「家づくり」というと、つい、「あんな家がいい」、「こんな家もいい」とおもいがちですが、「建物と人の関係」において動かしがたい事実を押さえた言葉を残した人に、英国の二〇世紀前半の政治家を代表するチャーチル(一八七四¦一九六五)がいます。いわく、
    『私たちが建物をつくり、その後、建物は私たちをつくる。』
調べてみると、この言葉は、左のように(The Churchill Centreより、下線部分は宮坂が加筆。)第二次世界大戦中に英国議会の建物がドイツ軍に爆撃された際の、国民の奮起をうながすための言葉だったようですが、建物の価値の神髄を言い当てている点で、優れた見識といえるとおもいます。「家は人間形成に深く関わっている。」と言い換えることもできるでしょう。Churchills_speechesquotes__10
Churchills_speechesquotes__01

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2009年5月 3日 (日)

まちづくりの見識④

それではレストンの町がどのような見識にもとづいてつくられたか、レストン生みの親のRobert E. Simonの言葉に触れてみましょう。奇しくも、きょうは憲法記念日。まちづくりの基本的な考え方を味わうのにふさわしい日だとおもいます。  (以下、Wikipedia:Robert E.Simonより。写真:Gregory F. Maxwell  邦訳:宮坂公啓)800pxreston2c_virginia__statue_of_r

   
    ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
レストンは、1962年にRobert E. Simonが述べているように、次のような原則にもとづいて計画された。
   バージニア州にレストンを造るにあたって、主な目的は次のとおり。
1.余暇の時間を十分に使えるように選択の機会が最大限用意されていること。これは、ニュータウンというものは個人のプライバシーが保たれるのとおなじようにいろいろな文化的で娯楽もたのしめる施設を備えていることを意味している。
2.従来の好むと好まざるにかかわらず出来上がるような隣人関係をくつがえし、誰もが唯一無二の生涯の隣人であることが可能なようにすること。住宅の形式と価格については、効率のよい高層住宅から寝室が6部屋あるタウンハウスや戸建住宅など最大限の巾を用意し、いろいろな所得層やライフステージに対応できるようにする。このようにすれば、人々の住宅に求める内容が変化しても、このような多様な住宅の組合せが人々がのぞむかぎり人々を地域に根付かせることになる。さらに副産物として、活発でいろいろな人々の住む地域を物語るに足る混成・共生環境(heterogeneity)がうまれる。
3.個々の居住者を尊重し大切にすることが都市計画などの上位計画に先立ってすべての計画の焦点になること。
4.人々はおなじ地域で生活し働けること。
5.商業施設や文化施設、娯楽施設などは開発の初期段階から居住者が利用できるようにすること。入居後数年後とならぬように。
6.しかるべき生活に不可欠な美しさ―建築美と自然美―。そしてこれらが培われること。
7.レストンは個人企業によって開発されるので、計画どおり完成させるためには、当然のことながら財政的に成功をおさめるようにしなければならない。
    ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
ねんのため、英文で味わってみてください。 Reston_was_planned_with_the_follo_2

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2009年4月26日 (日)

・・・菜の花に
                 桜舞い降る堤かな・・・
満開の桜の見事さには何も付け足すものは必要ないとおもっていたところ、駅に向かう道の途中で出会ったのが満開の桜と菜の花の取り合わせ。
   桜より先に咲き、桜が咲きそろうのを待ち、桜が散るのを見送るように樹の根元にひろがる姿は、映画の主人公を引き立たせる名脇役をおもわせます。
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・・・桜逝き
              青葉を照らす夕陽かな・・
青空の下を花びらが風に流れていく桜の散り際には、日本人の誰もが抱くすがすがしさを感じるとおもいます。また、桜が散り終わる頃に葉桜を照らす夕陽は、春の終わりを告げ、夏の始まりを知らせているようです。
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2009年4月19日 (日)

まちづくりの見識③

レストンの高層マンションはタウンハウスの街区と同じように人造湖に面して建てられていますが、その水辺には小さな広場を囲んで低層の建物が建てられ、日用品や食品を扱ういろいろな店舗が入居していました。ニュータウンにありがちな大型店舗は見当たりません。写真から分かるように、ここを初めて訪問する者にとっても、どこか「街角」という言葉をおもい浮かばせる雰囲気が街並みに備わっているとおもいませんか。32
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さて、目を日本に転じてみると、「高層マンション」という言葉から思い浮かぶ日本の都市の住環境は決して良いとはいえません。それは高層マンションが建設されると周辺の環境に日照や眺望などの障害をおよぼすだけでなく、通行人に風害などの影響を与えているからだとおもいます。建物が建つことでその地域環境の質が向上するという計画本来の基本理念が欠けているからではないでしょうか。
   また、高層マンションではドア一つでプライバシイーが保て、防犯の備えが十分な反面、隣近所との付合いが疎遠になり、高層マンションに住む人たちは地元町内会活動に参加することも少ないと聞きます。つまり、日本では建物が完成した後で家づくりと町づくりのつながりを確かめないまま、高層マンションは建て続けられているようです。
   こうしてみると、レストンの高層マンションをふくめたタウンハウスや戸建住宅などの住環境の良さには家づくりと町づくりのつながりを保つうえで、基本計画の考え方に日本とは異なる内容があるようです。次回は、そこを探ってみましょう。

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2009年4月12日 (日)

まちづくりの見識②

このレストンには前回の写真にあるような戸建住宅が建ち並ぶ街区に加え、「タウンハウス」と呼ぶ連棟形式の戸建住宅の街区があります。10
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タウンハウスは日本では建築法規上「長屋建て」と呼ぶところから、戸建てに対して価値が低いという言葉のイメージが影響しているようであまり普及していません。一九七〇年代前半にツーバイフォーが始まった頃に注目を浴びた時期もありましたが、マンションにくらべると土地利用効率が低いので不動産事業として低い評価しか得られてこなかったようです。
   しかし、このレストンでは次回ご紹介する高層マンションを建設しながらも、タウンハウス街区がいくつか集まった中央部にコモンのようなゴルフ場(左の写真)を設け戸建住宅の街区にひけをとらない住環境を保っています。
   私の試算では、マンションの土地利用効率が容積率(敷地面積に対する建築延床面積の割合)二〇〇~三〇〇%以上に対して、タウンハウスは一〇〇~一五〇%ですが、近隣に対する日照問題や眺望や景観を損なうような問題は生じにくく、住宅としての独立性が高いので、地価が下がり住宅資産価値が見直される時代に入ってきた現代においては、再評価すべきではないかとおもいます。
   このレストンから私が学んだのは、小さなゴルフ場や左につづく写真のような人造湖がコモンとして土地利用計画が行なわれ、住宅の資産価値のみならず居住環境の質が高められているところでした。
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2009年4月 5日 (日)

まちづくりの見識①

「レストン(Reston)」という町が米国の首都ワシントン近郊にあります。広さは約二七平方キロメートルといいますから五㌔強四方とすると、東西南北それぞれ一時間ぐらいで歩ける広さの町が想像できるとおもいます。「篤志家の手でつくられた職住近接型のニュータウン」と新聞で読んだのがきっかけで一九九一年の一月にこの町を見学しに行きました。
   左の写真(Joshua Davis)は、レストンが開設された一九六四年から四十年後の二〇〇四年に建てられた、この篤志家、Robert E. Simonの銅像。Lakeanneres_2

   
レストンは篤志家の名前の頭文字をとってつけられた町の名前で、町の名といい、銅像の建てられた経緯や銅像の本人がベンチに座っているデザインといい、「町づくり」というやわらかな言葉のひびきにふさわしい雰囲気をそなえた町です。
   私が訪ねたのは、ちょうど第一次湾岸戦争が始まった時で、私にとっては記憶につよく残る町です。とくに町の第一印象は劇的でした。到着して最初に見た風景は左のように霧がかかっていましたが、隣につづく写真のようにたちどころに霧が晴れ、飛んできた鳥が池に着水した時は、映画の一シーンを見ているようで、おもわず「出来すぎているなぁ」と独りつぶやいてしまいました。(日付は1/16が正しく、フィルム交換時に日付設定(ダイヤル式の旧式なもんで・・・)をまちがい1/28になってしまいました。)
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2009年3月29日 (日)

ティンバーフレームの生まれた風土⑦

私の知る限り、「木と鉄(金属)」の使い方については日本より欧米のほうが上手なような気がします。この写真(一九九三年六月撮影)は、米国のティンバーフレームのルーツをたどろうとイギリスへ出かけた時にロンドンから西へ車で二時間ほどのチッペンナム(Chippenham)でみかけたステーションワゴンのMorris Minor1000。Morris_minor1000_shot1993

   
この車は一九六〇年代初めに発売されたそうですが、当時はリアゲートの開閉に使うガススプリングがないのでドアを軽くするために木製にしたようです。これは私の想像。
    左の写真(一九九六年撮影)は米国のニューハンプシャー州の博物館でみかけた馬車。
   鍛造した鉄で補強された車軸の形から想像できるのは、構造強度と乗り心地を考え、木と鉄を「適材適所」に取り合わせた当時の職人の知恵と腕。 このような適材適所の考え方は後でご紹介する現代のティンバーフレームにも生きています。
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2009年3月23日 (月)

花だより

・・・桜、まだ もうすぐ桜
                               まだ、桜・・・
桜の開花日が報道される彼岸(三月二十日)が近づくと、やはり気になるのは桜。それも見たいのは満開になったばかりの桜。
   駅へ向かう道の並木や、出かけた先で桜の樹に出会うと、つい、眼は樹の枝を追って花の咲きぐあいを確かめてしまいます。
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江戸時代の端唄(はうた)の「ウメ~は~♪咲いた~か♪ サク~ラはまだかいな♪」が、鼻歌のように浮かぶのは、日本人のDNAがまちがいなく私の身体にある証拠?そんな願いを察してか、桜の樹が立ち並ぶ公園の池の噴水に虹がかかりました。
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2009年3月15日 (日)

辛夷(こぶし)

・・・春は来ぬ
        群れ咲くこぶし空高く・・・
梅が咲いた後、啓蟄(三月五日)を過ぎた頃に眼に入ってくるのが辛夷(こぶし)の花。葉のない枯れ枝にいっせいに白い花が咲き、自然界の春到来を知らせる演出として群を抜いているとおもいます。
   梅から始まって、辛夷が咲き、そして桜。春の花のフルコースがただいま進行中、というところでしょうか。
Kobushi3
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ところで、辛夷と木蓮(もくれん)の花は、よく似ています。辛夷が咲いた後で木蓮が咲くと長い間思っていましたが、地球温暖化のせいか最近では両方とも同時に咲くようです。じつをいうと、写真を自分で撮っていながら、これが辛夷なのか木蓮なのか確かなところがつかめません。もうすこし花が開ききったら確かめることにしてみます。木蓮のほうが辛夷より花が大きいハズですから・・・・
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2009年3月 9日 (月)

ティンバーフレームの生まれた風土⑥

長い間実感のもてなかった「コモン(common)」というカタカナ用語の意味が分かったのがNew Hampshire州Walepoleにあるコモンに出会った時でした(左の写真(二〇〇一年撮影))Walpole_common3

   
この写真は、どこにでもありそうな公園の風景ですが、一九九一年一月に初めてここを訪れた時は、ベンチや植樹や国旗掲揚ポールもないただの「原っぱ」でした。その日は日曜日で、昼すこし前の時間だったせいか、原っぱを囲んで建ち並ぶ宗派の異なる教会からミサを終えた人々がいっせいに原っぱに出てきたかとおもうと、協力し合って野外コンサートの準備を始めました。その風景を見た私は、「これがコモンか!」とおもわずつぶやいたのを今でもおもいだします。「一つの街区を宅地として利用せずに、ただ残すのがコモン」というのが私の理解でした。
   二〇〇一年に二度目にこのコモンを訪れた時は風景も変わり、最初のような感激はありませんでしたが、新たな発見がありました。それが左の写真です。
Walpole_common2
Walpole_common_1

石板には次のような言葉が刻まれています。『この樹は真の友であり、たぐい稀なWalpole市民であるGuy Bemis氏(1900―1996)を記念して植樹された。 Walpole学校五回生一同より 一九九七年六月十六日』。 私には、この故人の肖像が刻まれ、地面に埋められた石板が「地域の人々の連帯は個人を尊重することから生まれる。」と、見る者に語りかけているように思えました。
   また、ティンバーフレームに携わる人たちに接した時に伝わってくる彼らの連帯感には、私が初めて見たコモンの風景が重なります。

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2009年2月27日 (金)

ティンバーフレームの生まれた風土⑤

先にご紹介したティンバーフレーマーズ・ギルド(現在の会員数は約千六百人)が一九八五年に約二百人の会員に呼びかけ初めて総会を開いたのが、このHancock Shaker Village(一七九〇年完成)。(左の入口の写真は二〇〇一年撮影)Sharkervillage1 Shakervillage3Sharkervillage2

   
日本でもシンプルなデザインで人気の高い「シェーカー家具」は、ここで生まれています。私が調べた限り、シェーカー教(キリスト教の一宗派、クウェーカー教の分派)とギルドの活動には直接つながりはないようですが、ウィキペディアによるとこの場所が一九六〇年に一旦閉鎖された後もシェーカー教徒のシンプルなライフスタイルは地域の人々に評価され続け、一九六一年に博物館として開設されてからは米国各地から訪れる人が絶えないとのこと。
  右の写真は、一八二六年に建てられた円形の牛舎の外観。左の写真は内部(屋根を支えるタルキ先端を二股に割いて使っているところに注目してください。)。少ない労力でより多くの牛を育てることが出来るように円形中央部に置かれた餌を囲んで牛が食べるように設計されています。また、組石造の壁は熱容量が大きいうえに円形に積まれているので冬でも晴れた日であれば、一日中太陽が当たるので牛舎の中の気温は昼夜をとおして安定していたと思われます。
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私は一九九三年と一九九六年と二〇〇一年に計三回ここを訪れていますが、行く度に合理性に裏付けられたシンプルなライフスタイルとその豊かさを発見するので、何度でも訪ねたい所です。
左の写真のストーブや壁に掛けられた椅子のデザインをみると、とても二百年ちかく前のものとはおもえない今なお失われない新鮮さがあるのは不思議だとおもいませんか?

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Shakervillage9

   
左の写真は1996年にここを訪ねた時に偶然出くわしたティンバーフレームのワークショップの成果。ティンバーフレーマーズ・ギルドの会員のなかでも伝統的技法にこだわるグループによる軸組です。ここでは製材品を使っていますが、この伝統派の大工は今でも斧一丁で立樹を切り倒して丸太から角材を削り出し、接合部(仕口)をノミで刻み、このような軸組みを建てているそうです。正統な伝統派、あるいは音楽にクラシックの分野があるように、古工法に忠実なティンバーフレーマーとよべるとおもいます。Shakervillage10Shakervillage11Shakervillage12Shakervillage13

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2009年2月19日 (木)

ティンバーフレームの生まれた風土④

米国でいちばん古いティンバーフレームが、この旧Fairbanks邸です。ツーバイフォーが生まれるちょうど二百年前(一六三七年)に建てられ、今の姿になった一八八一年までに五回ほどの増改築を繰り返しているそうです。(左写真(一九九六年撮影)は西側外観)Fairbanks_west

   
図面と解説を読むと、二階部分を含め、当初規模の約八倍になっていますので、米国社会の発展拡大の経緯を想像できるのと同時に、家というものは移り変わる時代と人の生活によって、かくも姿を変えていくものかと考えさせられます。(左写真は東側外観)
Fairbanks_east
Fairbanks_window

解説によると、図面の「Kitchen(キッチン)」部分が、まず一六三七年に建てられ、一六四一年に北側の二部屋と「Living(リビング)」が増築され、一六五四年に「キッチン」西側が、一七〇〇年代に「リビング」東側が古い二軒の家の転用材で増築されると同時に暖炉の煙突も建てられ、一八〇〇年に東側「Parlor(客間)」と寝室に加え西側寝室部分が二階建てとして加わり、一八八一年に北側西寄りの部屋の西側に「Privy (トイレ(図面ではCloset(クローセット))」が増築されて完成となっています。こうしてみると十九世紀に入ってからの増築規模が目立ちますが、木造軸組み構法であるティンバーフレームの変幻自在さには舌を巻いてしまいます。
   家の間取りには柔軟性が求められるということを米国のティンバーフレーマーや建築主は、米国の住宅と住居の歴史から身につけているようです。(左図面はWikipedia Fairbanks Houseより転載)
   また、ネットでこのFairbanks邸のレプリカを建設している事例をみつけましたので、ご紹介しておきます。
Copy800pxfairbanks_house2c_dedham__
ところで、「浴室やトイレ(1881年に設けられた以外)がないのはナゼ?」、ですか?・・・たぶん、上下水道のない時代は、木の桶などをつかって部屋の中で用を済ませ、排水設備がないので家の外に撒くか、地面に穴を掘って滲みこませていたのではないでしょうか? 今の私たちが家の中で当たり前におもっている水道や排水設備の歴史は、意外に新しいものだということが分かります。

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2009年2月 9日 (月)

梅探し

・・・風止んで
           陽だまりを行く梅探し・・・
冬の寒い風が止み、陽も高くなれば、そろそろ梅が、、、と思うのが人情。期待にたがわず出会ったのは満開近い白梅。
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1

   
カメラを向けて、二、三枚撮っている内に、何かが動ごき、雀でも?と、ファインダーをのぞいていた眼を梅の木の枝に遣ると、、、なんと!鶯。
Photo_2

こいつぁ春から
                    縁起が良いわい!
そこでもう一句。
・・・北風を止めてほころぶ
                  赤 ・ 白 ・ 梅・・・

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2009年2月 1日 (日)

ティンバーフレームの生まれた風土③

ニューイングランド地域のティンバーフレームの歴史を辿りながら現代のティンバーフレームを見学しようと出かけ(一九九六年十月)、ニューポート(New port・Rhode Island州)で最初に見つけたのがこの建物。「おっ、筋交い(スジカイ)がある!」と、車から降りてみると、隣は(写真後方)十九世紀の終わり頃に建てられた当時の社交場「ニューポート・カジノ」。現在はテニスプレイヤーの聖地、国際テニス殿堂(International Tennis Hall of Fame)として利用されていました。Tablotsnewport_casino

   
ニューポートは日本の湘南地域のような海洋レジャー基地ですが、十九世紀には中国や日本などのアジアとの交易で栄えた歴史があり、当時の富裕層の家がランドマークとして数多く残っています。
1griswoodhouse1996newport_2

現在、美術館として使われているこの旧Griswood邸は一八六四年創建。「*スティック・スタイル」と呼ばれ、日本の木造真壁のように軸組みを室内と室外に現わすのが特徴。この筋交いはツーバイフォーがバルーン・フレームと呼ばれる前にブレースド・フレームと呼ばれ、ティンバーフレームの太い柱の間に細いツーバイフォー材を取り入れた頃の工法の影響もあるようにおもえます。 
2griswoolhouse1996newport_2

3griswoodhouse1996newport
現在も個人の邸宅として使われている旧Sherman邸(写真左)は一八七六年創建。横長の大きな出窓や外壁のシングル葺きが特徴で、スティック・スタイルの後に現われた「*サーフェス様式」と呼ばれています。(*「絵で見る住宅様式史The American House」鹿島出版会刊より)
1wattsshermanhouse1996newport_2

2wattsshermanhouse1996newport

いま改めてネットで調べてみると、ニューポートは黒船で来航したペリーの出身地。下田市とは姉妹都市の関係。また、ジョン万次郎が滞在していたニューベドフォード(New Bedford)とフェアヘブン(Fairhaven)は、ニューポートから東へ車で一時間ぐらいの所で、土佐清水市が下田市とおなじように毎年草の根交流を続けています。また、さらに北へ車を走らせると、数多くの日本美術品を収蔵しているボストン美術館があり、この地域は江戸時代末期の日本と縁の深い地域です。
   右の写真の建物は、いずれもツーバイフォーが始まった一八三十年代から三十~四十年経った頃に建てられたものですが、新旧の工法が巧みに取り合わされている様子が外観からうかがえます。 この時期以降、米国各地の都市化はさらに進み、ツーバイフォーの普及と共にティンバーフレームは歴史の表舞台から徐々に退き、約百年間、技術は途絶えることになりますが、今も利用されているこれら百数十年経った建物が産土となり、培われた地域の暮らしが風土となって一九七〇年代半ばに再び現代のティンバーフレームが芽吹いたのではないでしょうか。
   このような建物の移り変りを見てみると、私には樹の倒木更新が思い浮かびます。米国の木造住宅史のあまり知られていない側面だとおもいます。

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2009年1月22日 (木)

ティンバーフレームの生まれた風土②

この橋は、クリント・イースト・ウッド主演の「マジソン郡の橋」で有名になった屋根付木橋(Covered Bridge)。橋の名はバーモント州側ではWindsor-Cornish。ニューハンプシャー側に設置された案内板では、Cornish-Windsor Bridge(どちらの名を先にするか、川をはさんだ地域の人の意地の張り合いはどこでも同じのようです。)。マジソン郡の橋より大きいこの橋の全長は約一四〇m、対向車線が設けられているので巾は約一〇mあります。米国で一番長く、橋脚間隔が二つの木橋としては世界一とのこと。

Coveredbridge1_2 Coveredbridge_2 Coveredbridge3

   案内板によれば、一八六六年にこの場所で四番目の橋として建設され、建築家Ithiel Townの考案によるラチス・トラス構造は、一八二〇年と一八三五年に特許を取得しているそうです。
   いま、ウィキペディアで調べてみると、米国に現存する屋根付木橋は、いままで集計したところでは約六〇〇ヶ所あり(全数は調査継続中)、その内の一六〇ヶ所はバーモント州とニューハンプシャー州にあるそうです。この二つの州はコネチカット川をはさんで隣接するので実際の橋の数は、少し下回るとおもいますが、構造が命ともいえる木橋が日常の暮らしに溶け込んでいる風景を見た時は、改めてティンバーフレームが生まれた風土を感じないわけにいきませんでした。私がCornish-Windsor Bridgeを撮影したのは1996年10月上旬。

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2009年1月15日 (木)

ティンバーフレームの生まれた風土①

建物にはキノコのようにその土地から生えてきたようなタイプと、ヘリコプターで運ばれて来てその土地に置かれたようなタイプの二種類がある、と言ったのは建築家の宮脇 壇さん(故人)だったとおもいます。もちろん、ティンバーフレームはキノコのタイプ。アメリカのティンバーフレームが生まれ育ったニューイングランド(ニューヨーク北側の六州、コネチカット州・ロードアイランド州・マサチューセッツ州・バーモント州・ニューハンプシャー州・メイン州)について詳しく知りたいとおもっていたところで出会ったのが左の写真の本(一九九七年三月発行)。

Last_house_on_the_road_2

   偶然は重なるもので、本の著者が自分で修理して住んでいる古いティンバーフレームの家のあるハーフムーン・ポンド・ロード(Half Moon Pond Road)は、前回ご紹介したKeeneの市街地から車で一時間ほどの所で、Benson Woodworking社からも同じぐらいの距離。
   一六二〇年にイギリスから入植した人たちによって開かれたニューイングランドは、まさにアメリカの原点とよばれるのにふさわしい土地柄で、この本に書かれているニューハンプシャー州の各地域で毎年開かれるタウンミーティングの様子を読むと、民主的なチームワークでティンバーフレームを刻み、建てる人たちの心意気が伝わってきます。
   この地域では、築後二百年~三百年経ったレンガ造や組石造の建物や、木造の家はめずらしくありません。ティンバーフレームにたずさわる人たちが言う『骨組みは三百年』が、ティンバーフレームのスタンダードであることは現存する建物が十分物語っています。

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2009年1月 8日 (木)

牡蠣

・・・正月や
           海飲むごとし牡蠣の味・・・
松飾りもとれ、七草がゆも食べ、そろそろ正月気分も抜ける頃だというのに忘れられない味があります。

この季節の新鮮な牡蠣は、それだけでも十分うまいのですが、レモンをしぼるとレモンの酸味で牡蠣の塩味にふくらみが出て、「海を飲む」ようなおおらかな気分になります。白ワインで牡蠣を食う、まさに冬の醍醐味といえましょう。
Photo

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2008年12月31日 (水)

ティンバーフレーム:見える骨組み③

このレンガ造とティンバーフレームの混構造の建物はKeene市内の中央部にある「コロニー・ミル(Colony Mill)」と呼ばれるショッピングセンター。一八三八年にウールの布をつくる工場として建設され、南北戦争や二度の世界大戦に従軍する兵士の軍服を製造するために操業を続けた後、一九五三年に一旦閉鎖。三十年後の一九八三年に現在の姿に再生されたそうです。
   この室内のあちこちに古い木造の柱が見られる構造の詳細な経緯は分かりませんが、レンガ造に鉄骨造の接合部と木造を巧みに取り合わせたデザインは、現代のティンバーフレームがもつ構造の美しさに共通する設計者の心を感じました。

Colony_mill_1_2Colony_mill_2Colony_mill_3 Colony_mill_4Colony_mill_5_2Colony_mill_6_2Colony_mill_10 Colony_mill_9Colony_mill_7Colony_mill_8

   
実を言うと、一九九一年一月は第一次中東湾岸戦争が始まった時ですが、ティンバーフレームに初めて出会った私にとっては幸運な年でした。 一月十五日、宿泊先のワシントンのホテルで戦争のニュースを聞いた私は自宅へ電話をして日本のマスメディアの報道も確かめ、急遽、旅程を変更。その結果、帰りの飛行機までの一週間をニューハンプシャーで過ごすことになったのでティンバーフレームをゆっくり見て回ることが出来たわけです。Bensonさんの会社を一人で二日間つづけて見学した日本人は私ぐらいだったかもしれません。

当初の予定では、森林が豊かなオレゴン州のオークランドでティンバーフレームの現場を訪ねた後、首都ワシントン近郊の職住近接型のニュータウンを見学してからアトランタに行き、建材の展示会を見た後でニューハンプシャーに立ち寄り日本に戻る計画でしたが、ワシントンの宿泊先で、人の集まる都市ではテロが起きる可能性が高いという噂が流れたのでアトランタ行きを取止め、ワシントンから友人のスコットさんのいるカナダのトロント経由でニューハンプシャーに入りました。

オークランドでは、日本の材木商社から紹介された現地の製材会社社員の案内で彼らが言う『ティンバーフレーム』をいくつか見て回りましたが、どれも木材は太いものの、《ツーバイフォーではない木造》ばかりで、「ティンバーフレーム」と言っても、当時の米国人の間では通用しない言葉であったようです。

一九九一年の一月の米国の旅行は、私の木造の仕事にとって大きな転機になった年でした。

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2008年12月24日 (水)

ティンバーフレーム:見える骨組み②

次に訪ねたのは林間地にある工事中の別荘。案内図はもらったものの雪道を一人で車を走らせながら写真のような案内板を見つけるのには苦労しました。今となればスリルに富んだ思い出ですが、レンタカーの日本製のM社の四躯Pには二度助けられました。一度目は凍結したゆるい坂道、二度目は行止まりの雪深い道から脱出する時に。

1991_2

   ティンバーフレームの外観は写真のようにごく普通の家です。室内は別荘のせいか前回のA邸にくらべるとおおらかな感じでした。日本の「真行草」でいえば、「行」でしょうか。方杖の形をみると人が両手を上げて荷重を支えているようにみえませんか?また、屋根の支え方や鼻栓を使う接合部にも日本では見られない方法がみられます。後でご紹介するドクター・ジョイント(Dr.Joint)と仕事仲間から呼ばれるBen Brungraberさんの工夫の跡です。1991_31991_5 1991_41991_61991_8419911991_91991_111991_13

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2008年12月17日 (水)

ティンバーフレーム:見える骨組み①

ティンバーフレームの特徴は室内に一歩入れば一目瞭然。「見える骨組み」です。
   ツーバイフォーや大壁造りの木造住宅が、骨組みを室内仕上げの下地材(石膏ボードなど)で覆ってしまうのに対し、ティンバーフレームの骨組みは室内に現われます。工程には入念さが求められ、ごまかしがきかないので手間はかかりますが、完成後は木材の色つやの経年変化が味わえ、空間の出来栄えをいつまでも楽しめる方法だとおもいます。日本の木造の真壁造りと多くの点で共通しているところがあります。

さて、ここでは私が訪ねたBenson Wood Working社(以下BWC)の「見える骨組み」を中心にいくつか見ていきましょう。

ティンバーフレームの住宅で最初に訪ねたのが、この工事中のA邸。米国の大工が使うノミを初めてみることができました。また、BWCでは横架材と柱の接合部に日本の「雇い(やとい)」の方法(ティンバーフレームその3写真④)をこの現場で初めて取入れたということを聞きました。 19911_2Chiselusa910122_2

   
五年後(1996)、Benson Wood Working社を三度目に訪ねた際に運良く入居後の様子を撮影することができました。この建築主のAさんのお宅には小さな工作室があり、製作中のゴルフのウッドクラブが数本並べてありました。

どうやら、工作室をもつような建築主は手仕事にも理解がふかいのでティンバーフレームの家を注文するようです。Timberframe_home19962Timberframe_home19961

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2008年12月 7日 (日)

紅葉

・・・色溶けて
           空染め香る銀杏かな・・・
落ち葉になる前の銀杏の色には、満開の花に劣らない美しさがあります。

黄色に熟した葉はほのかに香り、空に伸びる枝に茂った銀杏の葉は、まるで青空を染めるほど。
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・・・もみじ いちょう
           色溶け香る空の青・・・
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2008年12月 3日 (水)

ティンバーフレーム:BEAMR 1

この「Beamer1」を短くして「BEAMR1」とした車のナンバープレートは前回すこしふれたように「ティンバーフレーマー登録番号1」を示す貴重な品。所有者であるBensonさんになにかの拍子で口にしたところ、いとも簡単にくれました。こちらがいかにも欲しそうな顔をしていたので、察してくれたのだとおもいます。

・・・それにしても、一枚のナンバープレートだけで彼の車は走れるのだろうか?・・・いまでも気になるところです。1_2

   
この車のナンバープレートに職業を表記できるのは実に良いアイデアだとおもいます。自分の職業にプライドをもつ人が車を運転すれば、交通違反も少なくなるだろうし、とかく孤立しがちな車社会のなかで、職業をとおして顔の見える関係が保てるようにおもえます。

このナンバープレートで感心したもう一つは、上の段のニューハンプシャー州の標語。Live Free Or Die(自由に生きろ。さもなくば死ね。)をつぶやくと、英国から独立した米国建国当時のニューイングランド地域の人々と、その子孫でもある現代のティンバーフレーマー(軸組大工)の熱い心意気が伝わってきます。また、骨太の木材で造られたティンバーフレームの空間には、このスピリットが漂っているような気がします。

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2008年11月24日 (月)

ティンバーフレーム:バーモントビルディング②

「Prettyな(きれいな)建物」といわれる由縁は、ある時「家具のような家」を建築主から依頼されたことに始まったようです。

Benson Wood Working社は当初、キャビネットメーカーとして米国建国当時のいわゆるアーリー・アメリカンスタイルの収納家具を製作していたところ、納品先で収納家具の出来栄えに満足した建築主から、「この家具のような家が出来ないか?」と相談を受け、当時も今もニューイングランド地域に残る建国当時(十七~十八世紀)のティンバーフレームに着目したBensonさんたちがティンバーフレームを提案したところから約百年間途絶えていたティンバーフレームの復活が始まったと聞かされました。

この現代のティンバーフレームの第1号は、柱や梁を用いないツーバイフォー住宅の台所のリフォームに梁(beam)を使ったことから始まったそうです。ちなみにbeamerとういうと「ティンバーフレーマー」を指すそうで、米国では自動車のナンバープレートに車の持ち主の職業を表わす際につかわれる用語とのこと。どうやら日本語の「棟梁」の「梁」にも一脈通じるものがあるようです。Vermont_bldg_1_1991 Vermont_bldg_2_1991

   
バーモントビルディングを訪れた時は、テナントが入居する直前だったこともあって幸運にもこのような写真を撮影することが出来ました。室内は、事務所ビルとはおもえない、「家具の出来栄え」を感じさせる木造の空間でした。Vermont_bldg_12Vermont_bldg_3_1991Vermont_bldg_6_1991Vermontbldg9101272Vermontbldg910127

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2008年11月18日 (火)

ティンバーフレーム:バーモントビルディング①

Benson Wood Working社(以下、BWC)につづいてニューハンプシャー州で二番目に訪ねたティンバーフレームの建物が、このBWC施工によるバーモントビルディングです。名前のとおり、バーモント州にありますが、所在地はニューハンプシャーとの州境。

「Prettyな建物」と聞いたので小規模な建物を想像していたところ、郵便局と複数の事務所がテナントに入る3階建ての中規模事務所建築でした。Prettyには「きれいな」という意味があることをこの建物で知りました。 1991vermontbldg Vermontbldg1991_2

   
柱間は6m。日本の木造では平屋の場合で最大の柱間が三間(5.46m)といわれますから、ティンバーフレーム構造は小規模な住宅から中規模な一般建築にまで用いられる木造構法であることが分かります。

日本の大工技術は住宅と社寺建築に分かれていますが、バーモントビルディングのように木造を一般建築に用いるようになれば、社寺建築と住宅が融合した新たな大工技術が生まれるのではないでしょうか。木造の可能性をいろいろ考えさせられる、優れた建物です。左の写真は二〇〇一年撮影。築後十年で外壁は塗替えられていました。
Vermontbldg2001

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2008年11月11日 (火)

ティンバーフレーム:ティンバーフレームとの出会い

ティンバーフレームとの出会いは一九九一年一月二十一日、New Hampshire州のKeeneという町のホテル、Ramada InnでBensonさんと一緒にとった朝食に始まります。朝食後、案内してもらったBenson Wood Working社(Bensonさんがオーナー)で撮影した黒板の写真に仲介の労をとってくれた学生時代の旧友、Ted Scottさんと、その下にMIYSAKAの字が映っています。(左中段少し上)フィルムを現像した後で気がつきました。この刻み場兼事務所は、古い建物を再利用して建てた後で増築したそうです。やや興奮気味の私はコートも着ずに外でカメラをかまえ息を吸ったところ肺が少し痛くなったことを今でも思い出します。室内に戻って「外は零下二十度」であることを知りました。NewHampshireは札幌とほぼ同じ緯度の所です。The_first_vist_bwc_1991 Benson_woodworking_1991

   
増築した刻み場室内から古材を利用して建てた棟を振り返ったところ。撮影した日は日曜日だったので人はいません。床には木クズひとつなく清掃が行き届いていました。
Bwcshop19911

増築した刻み場は住宅と同じような居住性をそなえているのが印象に残りました。
Bwcshopprattroad1991

もう一つ深く印象に残ったのは駐車場に面した建物の外壁に取り付けられた小さな看板。左のような言葉が書かれていました。「デザインとエンジニアリング(構造、室内温熱環境など)と職人技能を共に活かしたティンバーフレーム」というのがBenson Wood Working(現在はBenson Wood Homesを併設)の今も変わらないモットーです。
Design_engineering_and_craftsmans_3

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2008年11月 4日 (火)

ティンバーフレーム:ギルドの考え方

ティンバーフレームを語るうえで、Timber Framers Guild(以下、TFG)を欠かせないことは、いままでの連載でお分かりいただけたとおもいますが、ここで改めてTFG専務理事のJoel C. McCartyさんをご紹介しておきましょう。2001guild_name_card_081028__3_6 2001guild_name_card_081028__4

   ジョエルさんの人柄は、右の名刺の裏に書かれた彼のモットーです。Nothing Impossible(不可能なことは何もない)と聞くと、一直線な性格を想像しますが、ギルドの計画は彼らが「四重のリトマス試験」というほど用意周到に組立てられます。つまり、『「しかるべき目的」をもった「しかるべき仕事」が、「しかるべき役割」を担った「しかるべき人材」によってなされるか?』が事前に協議されます。英語はたいへん切れのいい言葉づかいなので、ご参考まで。この文末にNothing Impossible!を加えると決まりです。The litmus test for Guild events is four-fold; Good Work for Good Purpose, with Good People in a Good Place. (1997年に来日した際のジョエルさんのスピーチ、「なぜ、ギルドの人々はボランティア活動に熱心なのか?」より)
2001guild_name_card_081028__2_4

ジョエルさんの自宅の庭先に建てたギルド専務理事の事務所(外壁は工事中)。左から風基建設の渡邊さん、ジョエルさん、ギルドの機関誌の編集長のKenneth Rowerさん(2001年4月撮影)。
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事務所でポーズをとるジョエルさん(2001年4月撮影)。ギルドの専務理事になる前は、Bensonさんの会社でCADを担当していただけあって、パソコンにつよい。ことし(2008年4月)ジョエルさんには孫が出来たせいか、白い髭は、ますますサンタクロースのようになっています。
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2008年10月28日 (火)

ティンバーフレーム:TFGのワークショップ② 

「ワークショップ」とは、「受講者が自ら講義に参加する」ということなので、この写真のような小さな石場立ての架構を設計しました。 Garden_sculpture1991

   
日本から参加したのは私と大工の中村さん(故人)と山川さん(元宮坂建築事務所)の三人。材料は全てBensonさんが用意し、二人の大工が手伝ってくれました。後ろ左からPaulさん、Rossさん、中村さん、Daveさん、座っているのは左から山川さん、Dennisさん。
Jpn_structure_demo_team_1993

現場に運ばれた基礎につかう沓石(くついし)が砕石だったので、川へ丸い石を採りなおしに行ってもらったり、大工道具オタクの若い米国の大工の質問攻めで加工作業が進まなかったり、てんやわんやの内に、なんとか四日間の総会の三日目には完成しました。「地面から柱が生えたように見える石場立て」は好評でした。日本で育ったRossさんのおかげで私たちの意図は完璧に伝わりました。左の写真右すみでRossさんの説明に聞き入っているのは ティンバーフレームの構造設計のベテラン、Ed Levinさん。 
私が初めて英語圏の人たちの前でプレゼンテーションした「柱立ての空間」もRossさんの助けでなんとか最後までやり通すことができました。
Jpn_structre_presentation_by_ross_1

ノミの扱いにやや慣れていないDave Carterさん。それでも習得しようという姿勢には感服しました。
Dave_carter_1993

カヌー造りが趣味のPaul Boaさん。ノミの扱いも手馴れたもの。
Paul_boa_1993_2

この小さな架構は、現在もBensonさんの家の庭にGarden Sculptureとして建っています。この写真は二〇〇一年四月に訪問した際に撮影。
Garden_sculpture2001_2

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2008年10月21日 (火)

ティンバーフレーム:TFGのワークショップ①

前回までにご紹介した七日間のワークショップに刺激されたことがきっかけでTimber Framers Guild(以下、TFG)の会員になり、一九九三年六月に開かれた東海岸側の総会に参加しました。週末を利用した四日間にわたる総会の内容は、「総会」によくある形式的な内容とほど遠いもので、左の写真のような実物を建てるワークショップと熱気あふれる講義が平行して進められました。 Rindge_pavilion_1

   TFGの総会は今も同じような内容で毎年二回(東海岸側と西海岸側各一回づつ)開かれています。木造に関心のある方であれば誰でも満足するはずです。まずTFGのHPにアクセスしてみてください。写真左手前側で日本の職人のような格好をしているのは日本で育ったロスさん。
Rindge_pavilion_2

かつての建国当時の米国では、日本の結(ゆい:地域社会の互助制度)のように個人の家づくりや共同倉庫の建設には地域の人々が参加したとのこと。TFGが毎年つづけてきたプロジェクトは、建国当時のアメリカン・スピリッツと現代の地域の総意を活かしたかたちで行なわれています。
Rindge_pavilion_3

この架構は、Franklin Pierce Colleg(ニューハンプシャー州・Rindge)のキャンパス内の展示施設として建設。
Rindge_pavilion_4_2

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2008年10月14日 (火)

白いコスモス

・・・コスモスや
           夕陽を映す白さかな・・・
秋の午後は時間が経つのが早い。

「コスモスの丘昭和記念公園」があると聞いて出かけ、咲きそろったコスモスに眼を奪われている内に陽は傾き、影が地面を覆いはじめると、浮かび上がったのは白いコスモス。
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青い空の下では色あざやかなコスモスのほうが目立ちますが、夕空が近づくと形勢逆転。
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「コスモスの丘」にて
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2008年10月 6日 (月)

コスモス

・・・コスモスに
           眼を染め触れる秋の風・・・
「秋桜」とは、うまい字を当てたものだと感心してしまうコスモス。春は桜、とすれば、たしかに秋はコスモス。

左の写真は秋分を過ぎて、やや遅い墓参りの帰りに眼にとまった道端のコスモス。車から降りてカメラを向けると、心地よい風が運転で疲れた身体を冷ましてくれました。
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亡くなってそろそろ二十年経つ父の墓があるのは山梨県の牧丘町。このような蔵があちこちに見られる所です。葡萄の「巨峰」で有名になりました。
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2008年9月28日 (日)

ティンバーフレーム:ワークショップ点描

   ワークショップの様子をもう少し詳しくご紹介します。その2の「続き」に載せた七日間の日程と併せて左の写真を見てください。
①ワークショップ第一日めの様子。受講生は総勢三十六名ぐらい。教室は地域の公共施設で、「School」と表示があったので生涯学習が定着しているのではないでしょうか。1992porttownsend5
②第二日目の墨付け演習。『やって見せ、やらせて見せて(ほめてやらねば人は動かじ)』は、どこも同じ?膝を土間につけて教えるTedd Benson。学ぶ受講生の真剣な表情はプロもアマも同じ。1992porttownsend12
③第三日目「手加工に使う道具について」。日本の大工道具に対する評価はたいへん高い。とくに針葉樹を彫るノミは手首への負担が柔らかい日本製が最良とのこと。Porttownsend15
④墨付けと刻みの演習に入る前の風景。それにしても、木の太さと土地の広さがなんともうらやましい、とおもいませんか?!Porttownsend14
⑤第七日目。建て方が始まる前に地組みした軸組みを確かめる受講生の女性の設計者。Porttownsend13

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2008年9月21日 (日)

ティンバーフレーム:骨組みの詳細

このワークショップで建てられた軸組と接合部詳細は左の図のとおりです。(設計はTimbercraft社、作図は宮坂建築事務所。)0809211timberframe_2
   軸組の特徴は、柱断面が正方形ではなく、およそ五寸×七寸の長方形(建築用語では「五平(ごひら)」。)を用いるところです。理由は、梁間方向と桁行方向の方杖(ほうづえ)(⑦の図)が柱と交わる接合部の柱の断面欠損を避けるためです。Timberframe_jdetail0809212_2
   もう少し詳しくいうと、架構の変形が大きくなると方杖端部に柱を引張る力が生じ、柱断面が不足すると柱が壊れるからです。建築基準法でも「構造耐力上必要な軸組等」のところで、方杖については、「その接着する柱が添木等によって補強されているものに限る」としています。方杖を用いる架構は、日本でも古い木造の駅舎などに見られます。鉄骨造の普及と大工職人の減少と共に、用いられなくなりましたが、このワークショップのようにプロの職人と素人が協力して建てられる木造構法のメニューの一つとして、地域おこしなどの場面で使い続けることができるのではないでしょうか。           (この項つづく)

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2008年9月13日 (土)

ティンバーフレーム:建て方-上棟

   七日間に渡るワークショップが最高潮に達するのは最終日の上棟の日。その熱気を私が撮影した写真から確かめてみてください。(撮影日がズレているのは、時差ぼけの私の日付設定ミス。)
①梁間構面ごとにベント(bent)と呼ぶフレームを建てます。ベントとベントの間はベイ(bay)と呼びます。1992porttownsend4
②ニ番目のベントを建て、ベント同士をつなぎます。1992porttownsend9
③三番目のベントとのつなぎ梁を用意しているところ。1992porttownsend11
④軒桁の接合詳細-「やとい」は、日本の手法を取り入れたとのこと。1992porttownsend6
⑤いよいよ最後の棟木の取付。1992porttownsend8_2
⑥「樹は木造として二度生きる」ことを願って"bough"あるいは"ever green"と呼ぶ上棟祝のシンボルを用意。1992porttownsend1_2
⑦上棟!1992porttownsend7

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2008年9月 6日 (土)

梨 

・・梨ひとつ両手をそえる
               重さかな・・
片手でつかんだ後、おもわずそのずっしりとした重さを両手で確かめてしまう、みごとな梨。

ざらついた梨の肌のひんやりとした感触とこの重さから、水気をたっぷり含んだ実の甘さが想像できます。
080901

がぶりとほうばり、シャリシャリと歯ざわりを確かめながら味わうにもこの重さが効きます。

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2008年9月 1日 (月)

ぶどう

・・ひとふさといえども重き
               葡萄かな・・
九月の声を聞いて、ほっとするせいか、熱かった夏の疲れがでてきて、すこし過敏になっている神経を休めるような重さが、みずみずしい葡萄の巨峰にはあるようです。
まるで、高い熱がでた時に額にのせる氷嚢(ひょうのう)のように。
080828

それとも、一粒巨峰を口にほうりこみ、歯を軽く当て、皮から実をはずして舌の上でころがし、葡萄の皮の苦味と皮と実の間の酸味と、うす緑色の透き通った実の甘味を口いっぱいに広げた時に心が鎮まるせいでしょうか。
  う~ん。やっぱり、葡萄は巨峰!

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2008年8月28日 (木)

ティンバーフレーム:七日間のワークショップ

ティンバーフレーマー(軸組み大工)の短期養成ワークショップは、今でも行なわれていますが、私が見学させてもらった七日間は下にご紹介する時間割のようにハードで熱い内容でした。左の写真は、ワークショップ最終日に行なわれるクレーンを使わない人手による建て方の様子。写真中央で左手を突き上げているのがこのワークショップのInporttaunsend1992_2指揮をとるTedd Benson
五~六人一組の受講生チームに棟梁格の大工一人が講師としてつき、プロ、アマ混成の総勢三十六名(受講生もプロ、アマ混成)ぐらいが一丸となって七日間で実際に使われる建物の軸組を上棟する、まさにオン・ザ・ジョブ・トレーニング(on-the-job-training)。このような技能者の養成風景は、日本で見たことがありません。七日間の時間割は次のとおり。(「続きを読む」へ)

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2008年8月18日 (月)

ティンバーフレーム:ティンバーフレームとは?

一九九一年の一月に左の写真( 一九九二年二月撮影)のようなティンバーフレームに出会うまで、私は米国の木造住宅といえば、ツーバイフォーだとおもっていました。皆さんの多くは今でも当時の私と同じではないでしょうか。9202
 ツーバイフォーが日本で普及し始めたのは一九七〇年代初めごろからからですが、米国では一八三〇年代初めから。考案したのはNew Hampshire州Keene出身のGeorge Washington Snowと伝えられています。当時の米国は西海岸のゴールドラッシュに沸き、とくにシカゴでは都市圏に人口が集中して一年で人口が倍増した結果住宅不足が起き、「速くて安い木造住宅」としてツーバイフォーが生まれたそうです。一八三〇年代後半には、貨物列車で輸送できるようにパネル化されたツーバイフォーが米国の主要都市に行き渡っていったのこと。
このような米国各地域の都市化が進むことで、ティンバーフレームは徐々に衰退し、一九七〇年代半ばにベトナム戦争が終わり、国土見直しの気運("Back to the land!")が高まるなかで一部の若い大工たちが建国当時のこの木造工法を復活させるまで、約百年間技術は途絶えたそうです。
一九七〇年代半ばは、第一次石油危機が起きた頃で、巨大化の進む技術や企業に対して「宇宙船地球号」を提示したフラーや"Small is beautiful"を唱えたシューマッハの思想、さらにその後加わった「等身大の技術」や「適正技術("Appropriate technology")」、などの考え方に当時の若い世代が国を越えて共鳴した時代でもありました。かく言う私もその一人。
この写真は一九九二年ニ月にシアトル近郊のPort Townsendで行なわれた七日間のティンバーフレーマー(軸組み大工)短期養成ワークショップの成果。棟木の先端に取り付けられた苗木は、「樹は木造として二度生きる」ことを願う"bough"あるいは"ever green"とよばれる上棟祝いのためのシンボル。この項つづく

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2008年8月12日 (火)

子供の声

・・蝉時雨子らの声和す木陰かな・・
「あちこちで盛んに鳴く蝉の声」、蝉時雨と書いて、せみしぐれ。立秋(八月七日)を過ぎたとはいえ、暑さは衰える様子はなく、まさに残暑の日々がつづきます。
とはいえ、街路樹の中で暑さをあおるように鳴く蝉の声に子供の澄んだ声が重なると、暑さが和らぐような気分になるのはなぜ?
これもの風景のなせるワザ?

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2008年8月 5日 (火)

白雨

・・白雨逝き朝風そよぐ窓の縁・・
夏の盛りに滝のように降り注ぐ夕立。雨量が多いため雨足が白く見えるところから白雨と書き、「はくう」、「ゆうだち」と読むそうです。
この白雨が降った翌朝は、秋風をおもわせるような風が窓辺を訪れ、暑い日々を忘れさせてくれます。
大暑(七月二十二日)を過ぎれば立秋(八月七日)も間近。寒さの長い冬に比べれば、暑いといっても夏は短いようです。
とはいえ、先週土曜日(八月ニ日)からきょう(八月四日)にかけての蒸し暑さは、たまりませんねぇ。やはり、夏は短いのにかぎるようで・・・・

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2008年7月31日 (木)

カキ氷

・・音聞けば涼風来たりカキ氷・・・
暑ければ暑いほど涼しさを感じるという風物があります。
昭和二十年代初めの生まれの者にとって、「カキ氷」と言えば、あの音。
右手でレバーを上下にまわして氷の塊を水平に回転させ、シャッ、シャッと調子よく音を立てながらガラス容器の足を左手の指ではさみ、手首を前後左右にゆっくり傾け、うごかしながら削りだす氷を受ける、あの音。
環境が見直され始めた九十年代前半に「サウンド・スケープ(音の風景)」ということが言われましたが、地球温暖化防止のかけ声が大きくなるにつれ、聞かれなくなりました。
温暖化ガス削減と同時に、夏の涼しさをよぶ音の風景を見直してみませんか?

Photo

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2008年7月30日 (水)

人と建物の一番いい関係

建物の上棟祝や竣工祝で目にする「人と建物のいい関係」については、誰もが知るところです。
先週金曜日(七月二十五日)に開かれた、道会館学舎という隣り合って建てられた二つの古い建物の再生を祝う会では、「人と建物の一番いい関係」に出会うことができました。
「・・人が建物をつくった後、建物が人をつくる・・」は英国の元首相チャーチルの有名な言葉ですが、この言葉どおりの事実経過がの写真の本には書かれています。近い将来の映画化を予感させるような、お勧めの一冊です。Photo_3

    -上の画像をクリックすると拡大します-

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うちわ風

・・・うちわ風止めてまどろむ                                遠き日々・・・
耳に当たる自分であおぐうちわ風を聞いていると、繰り返す音の響きに子供の頃の夏を思い出し、そのうち次第に手が止まり、うちわ風の消えていく音に引きずられるように眠りの中へ沈む心地こそ、夏の夜。寝苦しさもどこへやら。
こういう時のうちわは、「その辺にあるうちわ」にかぎります。写真のうちわは、ある鉄道会社の景品。夏の夜、もう一つ欠かせないのが、すのこベッドと枕元の観葉植物。お試しのほどを。

Photo_2

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2008年7月28日 (月)

解体工事

マンション木造リフォーム工事の主役は大工工事と建具工事、と前回〔七月二十一日)書きましたが、忘れてならない脇役は解体工事です。映画でいえば、出演者や監督の名前が出てくる前の導入部でセリフはなくとも、その立ち振る舞いが後の物語の展開を決める重要な役どころです。
左の写真は、まさにビフォア・アフター。解体中とリフォーム後では、撮影した本人でさえ写真を選び迷うほど室内は大きく変わります。右二枚は同じ所から撮影したもの。リフォームの醍醐味ともいえましょう。ただし、解体中の騒音がなければ、、、ですが。
04Hironodiningliving

   
隣や上下階にマンション居住者のみなさんが住むなかでのリフォーム工事は、当然とはいえ、工事を進める側にとってはたいへん気を使う仕事になります。解体が必要なコンクリートブロックや鉄を切断する際の機械工具の消音装置の開発がのぞまれるところです。
さらに、解体した廃材を現場で音もなくたちどころに粉末にできるような装置があれば、とおもうことがリフォーム現場では起きます。
オッと、また、だいじな人を忘れるところでした。水道工事や電気工事に携わる職人さん、和紙を貼る経師屋さんなどなど、しんがりを務める現場監督と設計者。と、いうことは、工事関係者が総力をあげてのぞむのがマンションリフォーム工事ということになります。
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2008年7月27日 (日)

室内温熱環境 その3

「エアコンがきらいなので土壁と木の家をおねがいします。」という建築主、Sさんの要望から設計した結果が、左のグラフです。エアコン無しの生活なので当然窓は開けた状態で実測しています。実測データ採りは理系大学を卒業された奥様の労作。
   S1996_3
   ご紹介した葉山成三さんのおっしゃる、「額の表面温度は三四度ぐらいなので、天井面の表面温度が三四度を越えると、火照りを感じるようになります。」にしたがえば、ごらんのとおり、二階天井面になる室内現しの野地板の表面温度を示す緑色の線は、外気温とほぼ同じなので設計上は断熱不足ということになります。
   一方、原因は特定できませんが、外気温が三一度を越えると、室温はその日の最低気温あたりに留まりながら推移しています。蓄熱容量の大きな室内仕上材の効果ではないでしょうか?
   また、室内の湿度は、外気の一日の変化のほぼ中間値を推移しているので、室内仕上材や室内に見える太い柱や梁の木材の吸放湿作用がうかがえます。
   屋根面の断熱方法は、瓦の下にアルミ箔の遮熱シートを敷くなど改良が必要ですが、関東地域の気候であれば、この家のように通気層を設けたうえで屋根瓦を葺き、室内現しの厚めの野地板を二階天井面に使い、風通しをよくすれば、夏の暑さをしのげるとおもいます。

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2008年7月26日 (土)

室内温熱環境 その2

「部屋の温度が十六度なら、昼間は暖房をつけなくても、この家は素足で過ごせます。」と、建築主のSさんの奥様から電話をいただき、その原因を確かめようと実測したのが左のグラフです。場所は東京の杉並区。
   

S1996_2

このグラフをみていると「室温という料理」を「室内仕上げ材の表面温度という器」で受けているように見えませんか?
これは偶然の結果なのですが、後日、ドイツの設計者から聞いた「壁・床・天井の表面温度は室温より四度ぐらい低く設計」という話と一致しました。
また、土壁の家は(詳細は宮坂建築事務所HPを参照)昔から「夏すずしく冬あたたかい」と言われていることも裏付けているようです。ただし、この家では土壁の外側に新聞古紙を再生したセルロースファイバーという断熱材を吹付けています。
ちなみに、この室温十六度は地球温暖化の目安となる大気の平均温度十五度より一度高いすべての生き物にとってわるかろうはずのない地球地表面の平均温度だそうです。(次回につづく)

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2008年7月22日 (火)

室内温熱環境 その1

水が高い所から低い所に流れることは誰でも知っていますが、「温度や湿度も高いほうから低いほうへ流れる」ということは、あまり知られていないようです。室内と屋外の温度と湿度の関係を図に描くと下の右側のようになります。
   例えば、夏は温度と湿度の高い屋外から、エアコンで冷され除湿された室内に熱と湿気が侵入し、冬は逆の現象が起きるところを想像してみると分かりやすいとおもいます。
   天井放射冷暖房を開発した葉山成三さん(テーテンス事務所・最高顧問))によると、床上10cmの足のくるぶしの表面温度が22度に保たれていると、私たちの身体は暑さや寒さを感じにくい状態になるそうです。下の図の身体の「体温発散速度 」という指標で判定できるとのこと。
   ドイツでは、壁・床・天井の表面温度が室温より四度ぐらい低くなるような断熱材と蓄熱容量のある室内仕上材を設計するのが一般的と聞きます。室温ばかりでなく室内仕上材の表面温度が、室内の心地良さに関係しています(次回につづく)
   

Photo_4
          

「テーテンス事務所」 http://www.tetens.co.jp/

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2008年7月21日 (月)

大工工事と建具工事

 マンション木造リフォーム工事の主役は、前回ふれた障子を製作する建具工事と、板の間を含めた室内全体をまとめる大工工事です。障子は秋田県の建具職人が造り、宅急便で送られたものを、東京の大工が取り付ける協働の仕事です。
大工工事の現場作業を減らすため、断熱材を取り付ける下地材は写真のように格子状にパネル化。また、現場で発生するゴミを減らすため断熱材は予め切断してあります。
床板に用いた徳島県産の杉板(商品名「こもれび」)は、長さ4m、巾19cmあるので大工工事の能率がよく、3cmの板厚は年間をとおして室内の保温効果を高め、熱圧処理して年輪が浮き立っている板表面は足ざわりが良く、素足の生活に適した材料です。Daiku2
    Daiku1

    「こもれび」:http://www.ts-wood.or.jp/pages/New/new_8K.html

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2008年7月15日 (火)

障子

からのつづき)
"Shouji Screen"といえば「障子」として少なくとも英語圏の親日派の人たちに通じる言葉です。
ところが、紙の張替えを嫌われて日本では不人気。ならばと、張替え回数を少なくするために設計したのが、この障子。透明フィルムを和紙でサンドイッチした「障子紙〔岐阜県産)」を太鼓張りにしてみると、障子というより堂々たる「間仕切りスクリーン」。
ひょっとすると、「障子の逆輸入バージョン」と言えるのではないでしょうか?
どうやら私たちの生活は、「和洋折衷」という言葉では語りつくせない多様な「異文化融合」の空間に置かれているようです。

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2008年7月 8日 (火)

板の間

・・板の間に素足もなじむ梅雨気配・・

梅雨入りの声を聞く少し前から靴下が脱げる素足の季節となります。雨の日が多くなり気分も重くなりがちですが、裸足で板の間を歩けば心も軽く"Singing in the rain (「雨に歌えば」)"。
日本人に生まれてよかったと思う季節でもあります。

(左は梅雨半ばに完成したマンション木造リフォームの事例。Hirono080618_5)→次回へ続く

                   

         工事施工:風基建設  http://www5e.biglobe.ne.jp/~fu-ki/

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2008年7月 1日 (火)

紫陽花

・・・紫陽花の影に隠れて青葉かな・・・
曇り空がひろがり、雨模様の日がつづく梅雨どきに紫陽花ほど似合う花はないようです。道端で出会った紫陽花の色に眼をうばわれ、後で気づく枝を重ねて生い茂る青葉。

梅雨もまたよし、というところでしょうか。
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